2013年10月24日木曜日

まずは日本語から

『論争・視点』(NHK:夜)で
「幼児に外国語教育は必要か?」というタイトルだった。
意味のない外国語教育が多くてなげかわしいとのこと。

「日本語が下手な人は、それ以上に外国が上手くなるということは絶対にあり得ない」って何回も繰り返し言っていた。

日本語がきちんと話せることこそが英会話の絶対最低条件だから、早期に外国語を勉強させることよりもきちんとした日本語を教えてあげることに重点を置いてください、とのこと。


くぅー。あたい、せっかく英会話の勉強しようと思ってたのにやる気なくなりそう。

なぜならば……あたい、日本語がまだ不自由だから!

「少なからず〇〇と言えないとも限らない」みたいなのがよくわかってないのだ。

ニホンゴ、ムズカシネ!



2013年10月9日水曜日

実技試験を終えて

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八王子市南大沢会場での審査を終え
ハンギングが自宅帰ってきました。

おかえり!

陽の強い場所で1週間、よくがんばった!




あらためて見てみると。

メイン花のケイトウを
不等辺三角の配置に植えたはずなのに、

花首があがってきたら正三角形の配置になっちゃって
なんだかファイヤーな雰囲気になっちゃったよね(笑)


炭火をウリにしている
焼肉店の前なら似合うかも♪


審査日に花が咲き終わる恐怖から
あまり陽に当てずに養生したせいで、

ジニアが弱ってきてヒヤヒヤしたけど
審査の日はギリギリ咲いてくれてました(〃´o`)=3


で、審査日から一週間たった今、花がない状態に。


「燃えたよ、燃え尽きた、真っ白にな」みたいな。


ありがとう、よくがんばってくれた~(/-\*)


2013年10月2日水曜日

マスター 実技試験


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9月にあった筆記試験の自己採点がいまいちだったんで
実技試験にかける気力もいまいち盛り上がらないまま
先日、審査がありました。





↓ こんな感じで審査をうけます。




東京会場は全部で100基ほどありました。
どれもハイレベルでビビる……


育ってもあまり姿が乱れない花材がいいな、と
自宅で育てる目線でケイトウとジニアにしたのですが、

コンテストではそれとは逆に
花苗を伸ばしながら上手に姿を保つほうが
得点に結び付くんですよね。


だから、お教室によっては
先生があえて徒長ぎみ(?)の苗を揃えておいてくれて
ソレで作れば大きく作れるとかなんとか小耳にはさんだが……


そうは知ってても、なんかデカイの、作る気が出ないな~

なんかさ、こう、「どうよ、すごいでしょ!」みたい気配、嫌い。

審査なんだから「すごいでしょ」のほうがいいんだけどね。


とにかくみんな、作品が大きい!
うわわっ、ってくらい巨大でした。



2013年8月26日月曜日

秋の寄せ植え

実家に行ったら、空いている鉢があったので
頼まれて(もいないのに勝手に)寄せ植えを作りました。




3500円かからないくらい。

この空き鉢、いいな。

いつかもらいまひょ

2013年7月25日木曜日

ヤクザと外国人

昔から占いの類は信じない。

風水占い(今週は玄関に赤い花をとか)は完璧に信じない。

血液型はほとんど信じない。
4種の血液型でクラス分けをしている幼稚園のことをテレビで見た事があるが
親はよくもそんな幼稚園に通わせるよなぁと思う。


人相占いは「額を髪で隠すな」とか「下がりまゆは運勢を下げる」とか言うけど、マユツバかなー。

占いのドキドキを味わいたくて、占いの館に行く人もいるのだろう。


だけどね、過去3回、占いでドンピシャ体験をした。そのうちの一つをご紹介。

それは10年くらい前のこと。
駅でアコムのキャッシングカードを拾った。
で、そのまま目の前の交番にお届けした。
交番では書類をつくり、めんどうなことに私の名前や住所も書かなくてはならなかった。


数日後、カードの落し主の男から電話がかかってきた。
おまわりのヤツがうちの電話番号を勝手に教えやがったらしい。クソッ!
当時はそういうの、まだユルユルのやつが多かったんだよね。

で、アコム男はお礼をしたいので会いたいという。

で、会ったあたい(バカ)。


アコム男はなんとヤクザ風チンピラだった。
そりゃそうか、当時はCM放送規制もあった町金のカードを持ってるなんて、まっとうな生活を送っていないのだろう・・・・・・なんてことを思いつつも、興味本位で会いに行った自分が今はうらめしい。
彼は釜めし屋で夕飯おごってくれて、物腰低く愛想よく、帰っていった。


何日か後、アコム男からまた電話が来た。
お礼の品を送りたい、しいては会社(組?)の部下・トオルが贈り物を届けに行くから家にいてくれという。

カード一枚でそんなにしてもらわなくてもいいです、とそつなくお断りしたが、「じゃぁ食事に。不安なら友達何人連れて来てもいいから」と言う。

結局、食い気につられた友達を誘い、高級しゃぶしゃぶ店にホイホイついて行った。

警戒しているつもりが、今思うとスキだらけだ。


しかし相手もそれで気が済んだらしく、連絡はそれ以降こなくなった。礼節を通す昔気質のヤクザだったのか、ションベン臭い女を相手にしてつまらなくなったのか。


「そんなことがあったんだよ~」とおしゃべりしながら、数日後友人とパチンコに行った。当時はスロット全盛期。ごたぶんにもれずもちろんあたい達もスロット台一直線。

そこそこ楽しんでいると、となりに座っていた外国人の男がヒョイと手を伸ばして、あたいの台で777を出してくれた。

見てるとコインも10枚くらいダダダッと流し込むように早業投入してるし、こりゃかなりスロットに通い込んでいるとみえる。


すこし儲けさせてもらったお礼に、外国人を近くのモスバーガーに御招待した。
日本語で会話がはずむ。
ドイツ語・フランス語・英語・イタリア語・日本語の5ヶ国語が話せた。
といっても、ほんとに話せているのかわからなかったけど。
スパイシーな匂いだが、何回か会って遊ぶようになった。


しかし彼の話に時々「あれっ?」と矛盾を感じるようになり、予感は的中。
彼はドイツ人ではなくイラン人で、
建築の勉強をしに留学をしているのではなく、
建築現場に出かせぎに来ているのだった。


「日本人の友達が欲しかった。イラン人と言ったら友達になれないと思った」と彼はいったが、騙されていたという気持ちの方が強くて2度と会わなかった。
出会いのウソはあったけど、今思うと人間としてはいい人だった。
ほんとに友達になれてたかもしれない。


そんなこんなが2週間のうちにあり、久しぶりに家でゴロゴロしていた日の事。

雑誌の占いをなんとなく読んでいたらそこにはなんとなんと!!

「ヤクザか外国人と知り合いになるかも」の一文が。

これって……(汗)

オカルトを感じずにはいられないほど恐ろしかった。


その占いの対象としている2週間以内に、ヤクザと外国人と知り合いになった人がいったい何人いるだろう。

おそらくハズれた人のほうが多かっただろうけど、
とっぴょうしもない小未来をズバリ言い当てられた私はほんとビツクリしました。


2013年6月5日水曜日

なめなめくじくじ

「世の中に害虫なんていない。その観念は人間の都合によるものだ」

と聞くこともあるが、しかし私は共存しようなんて思わない。
庭にくる蝶々に、「まぁ楽しそう。春だわね」なんて甘い顔してたら
垣根やら野菜やらにたっぷり卵を産んでいきやがった。

青虫狩りで日焼けしてしまった。


ナメクジは我家のささやかな花々を片っ端から食す。
鉢の下や草の影などを捜しても見当らないのに
夜になるとどこからともなくぬらぬらとやってきては食い漁り
その体液が触れた葉は次第に枯れていく。


彼らはグルマンだ。やわらかくて淡い色の花が大好物だ。
ペチュニアの鉢植えでは一晩で12匹とらえたこともある。

夜中に動き回るナメクジを毎日捕るわけにもいかないので
ホームセンターでナメクジ殺しを買ってきた。緑色の錠剤。
同時にダンゴムシも撃退できるすぐれものだ。
これならもう見つけなくてもだいじょうぶ。


しかし、ナメクジを直接見たときにはやはり塩だ。
ふりかけた瞬間に、一度顔を上げたかと思うとクネクネと弱りだす。
CMではナメクジにシュッとひと吹きする粉状の殺ナメ剤が放送されているが、塩で水分を抜く、粉で水分を抜く、要はナメクジの水分というか粘膜というかをどうにかすればよいのであろう。
わざわざ粉末スプレー買わなくたって小麦粉で充分だ。


あたいはさっそく小麦粉を生体にまぶしてみた。
結論から言うと『有効』である。
ナメクジは当然粉まみれのまま、もがきもせず、逝った。

殺すという目的は遂げられるのだが、
しかしその生体実験は意外な副作用をも含んでいた。

  1. ぷっくりと太ったその湿った物体に小麦粉をふりかけると、このままカラアゲにでもいかが?な様相。おえっ。もうだめ。
  2. 翌朝も翌々朝も、ほっときゃいつまでも「ここでナメちゃん死んでます」的目印となって私をおびやかす。玄関を出てすぐに目に入るあちこちの白い小山は、さながら彼らの怨念の証とでも言えよう。
  3. それらがあまりにも気持ち悪いので水をかけたら、小麦粉がどろどろになって中から半生ナメクジが現われ・・・・・・もういけません。おえっ。

とにかく!やはり!『ナメクジには塩』だ。

分相応の量の塩をまぶす。これなら目印になる事もなく、完全に干からびてくれる。
一言添えるなら、大量のナメクジを寄せ集めたところへ塩をもると
いつまでもドロドロしたままその場に残るので注意したい。

世の中の害虫といわれるムシたちの中でも、殆どの人が不快であろうゴキブリなどは国をあげて退治して欲しい。
しかし害虫関係の製薬会社や駆除業者の死活問題に係わるのだろうか、いまだそのような話は聞いたことがない。


経営陣の無茶で消えていった数々の団体に税金つぎ込むくらいなら
ゴキ退治に税金使ってほしいな。
害虫税とかならみんな出すんじゃないかなぁ。

『日本害虫駆除党』とかあればいいのに。


しかし害虫産業の社員1人が平均3人を養っているとして、いったい国民の何パーセントの人々が害虫のおかげでメシを食っているだろう。
その経済効果は知り得ないが、あたいが買った殺ナメ剤だって日本の流通経済の一端を荷っているのである。 

あ”っ! もしかして、このことを「虫と人間の共存」というのか!? 

世の中は持ちつ持たれつ。

※最近はちゃんと園芸用のナメクジスプレーで処分しとります。


2013年5月27日月曜日

見抜けない

 女子高生のコスプレをしたおばさん44歳(ピーターパン症候群)が

通り魔に髪を切られた事件があった。

警察に駆け込み、自分の年齢を16歳と偽り、
疑いを持たなかった警察はそのままニュースソースにしたというB級ニュース。

↑よく読まないと状況が謎なほど、こじれたニュースであーる。


登場人物3人ともにツッコミどころが多すぎる。

コスプレおばさんと、髪切り通り魔の二人は
すでにイカレてる前提なので良しとして
問題なのは警官だ。

いくらなんでも44歳のおばちゃんが女子高生の恰好してて
16歳に見えるもんかね?


事件を目撃していた通りすがりのおっちゃんは
「首まですごい厚化粧してた」って見抜いていたぞ。


2013年5月20日月曜日

第5回カングージャンボリー(1)


今年も行ってきました。
「第5回 ルノー  カングージャンボリー in山中湖」

日本中からKangooが集まるイベント。





去年は↑メイン会場↑が満車になってしまい、
会場裏の「従業員駐車場」に案内されたの(泣)


せっかく奮発して手洗い洗車コースしてったのに~


今年こそはメイン会場に入るぞー、と早めに到着。

が。
なんと予想外の1200台(去年の2倍)も集まっちゃって
またしてもメイン会場には入れませんでした。


で、今年も場外駐車場 ┐(´д`)┌
ほぼ人通りのない中、意地でオープン。






2組から「私、園芸関係やってます」と声をかけていただき、
(うち一人はハンギングバスケットマスターさんだった)
来年は並んで出店しようということに!
うわぁ~ 来年焦るわ~ どうしよう~

さて。
セグウェイの無料券をいただいたので
そーいうの好きそうなダンナに譲渡してあげた模範的妻のあてくし。


なーのーに。
ダンナのやつ、
「アメリカにいるときにセグウェイ乗ったことある」
と、乗ったあとに告白。
こらっ! だったらあたいに譲りなさいよ!
お尻ペンペン(通称ケツバット)をしたおしたあてくしでした。




2013年1月6日日曜日

GGG

 2、3年前、『ニュース・プラス1』(日テレ:夕方)で

ロンドンだったか、とある害虫駆除会社がはったキャンペーンを伝えていた。

「わが社の特製バーコードが背中に印刷されたゴキブリを捉えたら、バーコードに登録されている金額の現金を差し上げます。1等1億円!(たしかそんなくらいだった気がする)」

やはり民間企業はより身近なアイディアを出してくるね。

でも、街中がクリーンアップされたら、当の害虫業者は商売あがったりじゃないの? と危惧したが、そこで気がついた。

ははぁん。やはり民間企業の考えることにぬかりはないね。

一見その企画はとてもユニークで企業イメージもアップしそうだけど
つまるところバーコード付きとはいえゴキブリを街中にバラまいているのである。

あんな繁殖力の強い生物を大々的に放流するなんて……なんたることじゃい!

支払う金額よりも、街中にばらまけるほうがお得というのは計算済なのだろう。
キャンペーン期間が終わって、なおも逃げおおせたゴキブリらは脈々と子孫をのこし、害虫駆除はますます商売お盛んになるっちゅうことだ。

そもそも本当に1億円のゴキが放流されたのかも疑わしい。 
やっぱ国をあげて駆除してほしい。だめすかね、小泉首相。


 
あたいがはじめてゴキブリを見たのは高校の合宿館だった。
厨房什器の下に山のように死んでいるゴキは、すでにその夜を暗示していた。

夜中に小腹がすいた数人と忍び込んだ食堂。
抜きあし差しあし暗闇の中、やっと冷蔵庫にたどりつき夕飯の残りの寿司を発見したのも束の間、冷蔵庫の灯りで辺りが薄ぼんやりの中、なにかが足元を、壁を、机の上を・・・


だれかが電気をつけた。
途端、少なく見積もっても30匹が大活躍していた。

ゴキに向って、叫びながら洗剤をまきちらす、あこがれていた先輩の狂気。

「高いところにいるゴキは飛んでくるよ」と絶叫する友達。

その後はよく覚えていない。


夜中に残り物を食べに行くという我々もゴキブリ程度だが
しかしまぁなんというビギナーズラック。

完璧にトラウマとなり、こないだもゴキを見ただけでゲロり、両手にジンマシンがでました。



2012年5月28日月曜日

「葬送」 第3楽章

高校1年の時に我が校にいた音楽教師イイノ(♀)は
ピアノがへったくそだったからなのか
フォークギターを片手に
ガロやグレープの唄を歌わせる授業をしていた。

女子高生にはその選曲センスは理解できない。
「いちご白書って? 神田川?どこ?」てかんじで授業崩壊。

声量のないイイノは「静かにしてぇ」と懇願するばかり。


ある時、イイノは授業の冒頭で
「最近、睡眠薬飲んでもねむれなくて・・・」と切り出してきた。

斜めからのジャブに
いつになくシーンと話をきくわれわれ生徒たち。

「先生ね、大学生のころから不眠症なの。みんな睡眠薬たくさんのんだら自殺できると思ってるだろうけど、睡眠薬って薬局に行って買えるもんじゃないのよ。

病院行って根掘り葉掘り聞かれて、薬局で名前と住所書いて、未成年だったから親の署名も必要で、それからやっとクスリもらえるの。

こっちは自殺する為にクスリもらいに行ってるわけだし、3ヶ月ぶんくらいいっぺんに飲もうってクスリ貯めるために病院通ってたんだけど、行っている内に嘘ついてるのがバレてきたらまた違う病院行って。

早く薬貯めて死にたいなぁって思っていたら同級生がおしえてくれたの。もっと楽に死ねる方法を。まずぬい針を用意して・・・(この先は自粛)」


あたいはこの話の情緒不安定っぷりに完全にメロメロになった。

生徒が興味をもって話を聞いてくれることに味をしめたのか
イイノはその後も毎週のようにちょいちょいと
「病んだ小話」を話すようになり、

音楽の時間→イイノの闇話の時間に。


週に一度の闇話時間がしだいに楽しみになったころ
イイノはちゃっかり妊娠して休職。


産休教師として、音大出たてのアライ(♀)がやって来た。

 「あらっちょっと、このピアノ音程悪いわね」
 「この指揮者のCD、いまひとつなのよねぇ」

などと、人に聞かせるための独り言をよくいう女だった。

情緒不安定のイイノの次は、あてくしざーますアライか。


鼻持ちならねぇと思いつつ
田舎の高校には珍しい
「ちょっと良いところの育ちの雰囲気」をもつアライへの興味が湧いてきたあたい。
 
「先生、ちょっと相談なんですけど、ピアノ教室だと練習曲みたいなのばっかりなんで、
普段楽しんで弾ける曲があったらおしえてほしいんですぅ」などと
音楽ネタでお近づきを謀った。

「そう。じゃぁ今度の授業までにあなたに合う曲を探しておくわ」

と。

で、翌週の授業の日にアライがくれたピアノ譜面は
ショパンの『葬送行進曲』だった。

こ、これが私に合う曲……なのか?



今、大人になってみると
確かに美しい曲だし、
ネタとしてもいい曲だな、と思うのだけど、


当時のあたいは、

こんなの練習しだしたら
うちのおばあちゃん泣いちゃうだろうし、

近所の人も「最近あそこのうちからお葬式の曲が……」って言われちゃうし、

そもそももうちょっと素敵でときめく曲がよかったのに、と思っちゃったんだよね。


「簡単だからすぐ弾けると思うわよ。弾けるようになったら聴かせてね」
あたいのピアノのレベルも知らないくせに「簡単だから」って言い切れる
そーゆー「おほほ」な雰囲気もなんかムカついたんだよね、そのとき。


結局、練習することもなく、
そのうちに産休を終えたイイノが戻ってきて。


一年の休職の間にすっかり憑き物が落ちたイイノは
もう「病み小話」をすることもなかった。

あたいはもう音楽の授業なんてどうだっていいやと思った。


2003年11月27日木曜日

ボジョレー・ヌーヴォー

1本買ってきました。

「家族経営の小さなワイナリーによる有機栽培ぶどうを使用したもの」

という、イトーヨーカドーの「スタッフおすすめ」の一文を頼りに
10数本のなかから選んだ1本。

ひさしぶりに飲んだボジョレー・ヌーヴォーはやっぱりさわやかだった。
深みはまったくない。

けど、若いというだけで価値のある生娘、のような清涼感。
かぷかぷ~と一人で軽く1本。


ま、昔、デパートのお酒売り場でバイトしていたあたい的には
ボジョレーなんつーのはわざわざ買って飲むほどの味ではないのだよ。

やっと酒になりたての汁を飲んで
「これは将来きっとヴィンテージになるから箱買いだな」
などと占うための酒なわけで、

別に飲んでおいしいってもんでもないわけだ。

それなのに3500円は高かったなぁ。

現地では高くても1本600円くらいらしいし。

輸送費? 日本もEUに加盟すればいいのに!


先週、演奏会のあと知人に銀座のワインバーに連れて行ってもらった。
グラスワインだけでも80種類もあるお店だった。

つまみ類もわりと美味しくて「さすが銀座だわぁ~」ってかんじ。

ワインセラーも届いたし(うっしっし♪)、
来てるな~ワイン熱!!

はまるとめんどくさそーだけど。


2003年11月26日水曜日

メタロフォン 最終



A=420に調整すべく、
チューナー片手に鉄を削った。
もう音叉なみにドぴったり。


白黒の鍵盤がどうも「どぎつく」見えたので、ちょい色替え。
思ってた発色とちと違って、なんか……へん??


しかし、あぁ。
色塗ったらピッチ変わった。あたりまえか。やりなおし。


2003年11月25日火曜日

わんこの保湿クリームをつくった



犬くんは口の両端が切れやすい。
犬くんは足のパッドが荒れやすい。

で、自家製クリーム。
主な原料は 蜜ロウ・オイル・プロポリス +α。
わんこちんがちょっとくらいペロペロなめちゃっても大丈夫!

これ、効果テキメン。
ヒトでももちろん使える。


2003年11月20日木曜日

チェンバロ製作

いよいよチェンバロのキットが届きそうなのだが、
なにしろまだ試作品段階のキット。

「部品が足らない」だの「仕様ができていない」だので
我が家への納品日が変更しつづけている。

キットとはいえ「素材が入っている」という程度のもの。
52の鍵盤を小刀で切り出したりと
なかなか手間はかかる。


当初は来たらすぐにでも造り始めるつもりだったのだが
こうして数日待たされている間に
ネットであれこれ楽器をみていて新たな欲求がわいてきてしまった。


それは「象嵌」(ぞうがん)。
自分でたべたアワビの貝をトッププレートにはめ込んでいる強者もいた!

アワビ貝で象嵌は私にはちと無理だけど(技術的にもお値段的にも)
でも木材象嵌ならがんばれば出来そう!?

黒檀や紫檀の端材とか売ってる店ないかなぁ。
エンジ色のキレイな木はなんていう種類なんかなぁ。

ただ組み立てるだけじゃなくてなんか施したい。


またまた明日ライブ

明日は今年最後のライブ。時間いっぱい、たくさん曲やります!

かねてより楽器の持ち替えは多かったですが、
1曲で3楽器かけもち、なんてことが増えてきました。

なので、最近では楽譜ではなく
メモ書きみたいなものを見ながら演奏してたりしてます。
(次はホイッスル、とか……)

今日はリハのあと、たかこさんと一緒に新宿のハンズへ。
クリスマスのイルミネーション、都会っぽかった~!


2003年11月18日火曜日

ライブ終了

いらして下さった皆様、どうもありがとうございました。
といっても、ココを見てくれているのはみんな演者ばかりだった!

あれほどたくさんお客様が来てくれるとは!

あの狭いスペースに、100人以上は入ってたよねぇ???
いやぁ~ 盛り上がったなぁ。
すごく楽しかったです。

企画してくれた方々に感謝。


最後、ドタバタで帰宅したのにやっぱり終バスに乗りそこねました。
で、迂回した先で最終電車にのり、深夜バスに乗り、、、

たかが荻窪から1時間50分もかかって帰りましたよ!
はぁちかれたーーーーー

来週は年内最後のライブ!(代々木へレッツゴー)


2003年11月17日月曜日

頭痛

ぬぅ。今日寝て起きたらライブにいかなきゃなのに。
今日は朝からずっと頭痛で、テレビの音も痛いかんじ。
当然、自分の練習する音なんて耳痛くて出来ない。

右のコメカミが5秒に1回くらいのハイスパンで
「ズキっ!!」としやがります。

痛い……頭痛薬のんでないけど。


そういえばこの夏~秋は6回飛行機に乗った。
飛行機に乗ると耳がすごく痛くなって、
たいてい翌日まで引きずる。

着陸1時間前に頭痛薬を飲むとよい、という
情報をネットで拾ったので次回試してみたい。

頭痛薬って不思議だー
どういう作用で耳痛が和らぐんだろう??

痛いという感覚をなくすんかなぁ?

でもつねると痛いし。


2003年11月11日火曜日

いらないリコーダー

「いらないリコーダーをください」と
オモテの日記に書いたところ、
何に使うのかと問うメールをいただきました。

実は、ポルタティーフ・オルガンを自作しようと思っているのです。
構想5年。
25腱くらいの小型のオルガン。
膝の上に抱えて左手でふいごを、右手で鍵盤を弾いて演奏します。


1つの鍵盤に1つの笛が直結しているので
23腱つくろうとしたら23本のリコーダーが必要。

ゆえに「いらないリコーダーください」であーる。


キットも売っているのだけどバカ高いし(50万とか)、
金属笛のだと音がバカでかいらしい。

木管製のオルガンもあり
いずれはそれを自作したいのだけど、
たまたま家にいらないソプラノリコーダーが7本あったので
これを突ッ刺して造るのもいいかな、と思って。

よって、ボロくてもクサくてもオールオッケー。
あなたの実家で
もう誰にも吹いてもらうこともなさそうな悲しいリコーダーを
もう一度鳴らしてみようではないかっ!!


目指せ、あと最低16本!!!

ソプラノでもアルトでも歓迎!!

もちろん、テナーやバス、コントラバスなんかでもオッケーよん。


100円ショップにも売ってるくらいだから
買ったところでたかがしれているのだけど
誰かのリコーダーってのがいいと強烈に思う。


私の自作楽器でみんなの思い出のリコーダーが
一緒にトゥトゥアンサンブルですよっ!!! 
きゃあ。ス・テ・キ!

っつーことで、だれか、ください。
送料も持ってくれるなら、なお良し。
さぁ、一口乗らねぇかい、だんなっ!

ついでにいらなくなった&鳴らなくなったピアニカも募集中。
つか、いらないアコースティック楽器、ちょうだ~い!

(コンサーティーナとかも大歓迎)←ふざけんな


2003年11月8日土曜日

わんことカマキリ

わんこくんは今日、生まれて初めてカマキリという生物を見た。



おののきつつ、手でちょこんとつつき、
おののきつつ、鼻でちょこんとつついた。

か、かわいい~!!

カマキリが歩いている後ろを
ノコノコと付いていきやがる。

か、かわいすぎる~!!

しかしほんの2分も遊ぶと、お家に帰るアピールをし始めた。

犬の保育園でも
「最近、ボールで遊んでてもすぐに飽きちゃうんですよ」と言われたばかり。
やっぱり飽きっぽいのか?

もう無邪気な子犬のようには はしゃげないお年頃かい? 


2003年11月7日金曜日

メタロフォン+共鳴箱



ついに完成。メタロフォン+共鳴箱。
元々の形はhttp://www.youngole.com/toys/108-00003.html"こちら。

こうして見ると、着色した木もなかなかいいではないすか。
音も伸び~で楽器的にもイイかんじ。大成功!!

暇があれば、マレットの先っぽに自作のフェルトをかぶせたい。
今はティッシュ巻きつけてるので……しょぼい。

あと、鍵盤の色もちょっとシックに塗り替えたい。


さて、次はポータブル・チェンバロを作る。
今月中にキットが届く予定。
来年か再来年、日本のとあるメーカーがキット販売するものの試作品。
作りながら製作マニュアルを作る仕事。


来年はプサルテリーなんかも自作したいな。
去年、マウンテン・ダルシマー作ったときに
プサルテリーもぜんぜん余裕ですぐ作れそうだと思った次第。

弓で弾くタイプじゃなくて、羽でつまびいて弾くタイプがいいな。

昔、ピアノの弦をハープみたいに指弾きして怒られたっけ。
あれを思う存分やってやるんだ~!へーい!!

あと、今、ポルタティーフ・オルガンを自作するための本をカナダの楽器製作者に問いあわせている。
もちろん英語でメールしたよー!
エキサイト翻訳を繰り返して作った英文で意味通じるかなぁ


ヤフオクにて100円で落とした三味線の長唄曲集が届いた。

もう、三線三味線たのしすぎ!
だれか一緒にやろうよーーー。

とかなんとかいって、今月はライブ数本あるし
お遊び楽器ばっかりいじってられない。

本業のフエを練習せなんだ!



2003年11月6日木曜日

電動サンダー

こないだ1000円でヤフオク落札した三味線のバチにもサンダーかけた。
かなり古いもの。
バチの先端が丸まっているし
手汗のあともドス黒かったけど、新品同様に!

そして現在製作中の、メタロフォンの共鳴箱。

▼一番上の写真は、10/30の日記のもの。
ノコギリで大雑把に角をおとしたもの。

けどサンダーであっという間にほら2枚目の写真。



で、メタロフォン完成!


……のつもりだったのに、着色剤を水で薄めて塗ってみたくなった。

いい感じの色になった。満足。

2003年11月4日火曜日

学園祭をはしご




ICUとルーテル学院の両方、学園祭ハシゴしてきた。
ICU祭では毎年でかーいパイプオルガンのコンサートへ行く。

メタロフォンの共鳴箱、明日サンダーかけて終了。


2002年9月1日日曜日

反射板レインボー

自転車の反射板からのレインボー(^o^)/


(撮って出し)



2001年12月23日日曜日

■2001年12月23日(日)

『人間ドキュメント』(NHK:深夜:再放送)で
「光れ!泥だんご」という企画をしていた。

泥だんごを毎日粉砂でみがいてピカピカにするのである。
22年前の泥ダンゴを木箱に入れて持っている人もいた。

いまだ変わらぬその輝きに驚く。


そいや2ヶ月くらいまえ『タモリ倶楽部』(テレ朝:深夜)でも
この泥ダンゴをつくっていた。

顔が映り込むほど光らせていた。


小学生の時、あたいも泥だんごづくりに熱中したことがある。
さすって光らせるという行為は
子ども心をときめかせるものなのだ。


あたいが小学生の時、妹と熱中していた「リンゴ磨き」。

リンゴ箱からひとつだけ選んで、毎日タオルで磨く。

くぼみのところも綿棒なんか使ったりして念入りにキレイにキレイに。
1ヶ月ほど磨き続け、どちらともなくやっと「そろそろ食べよっか」となるのだ。


小学生の時、異常な猛暑の中、近所のアスファルトの一部がドロドロに溶けた。
それを棒ですくいとって
すぐそばの廃工場の塀にどっちゃり塗りたくり、
その日以後、学校の行き帰りのたびにソレをこすって光らせたりもした。


小学生の時、歯が抜けたときには、
ちょびっと残っている歯肉を楊枝でこそげ落とし、日々磨いたものだ。

すごくキレイになったのでガチャガチャのカプセルに入れていつも持っていた。
友達に見せるとみんなすごくうらやましがった。

やっぱりさすって光らせるという行為は、子ども心をときめかせるのだ。


2001年12月20日木曜日

■2001年12月20日(木)

テレビがつまんないので
『探偵ナイトスクープ』(テレ朝:深夜)を撮ったビデオを見た。
「爆発タマゴ」(藤本くん)の回だ。

電子レンジでタマゴを加熱し、殻をむき、
一口食べたとたんに炸裂するタマゴを作るのである。

これはその企画もさることながら
ミラクルの連発により珠玉の作品となっている。


その後、これをパクった企画は『投稿特報王国!』(日テレ)や『発明将軍ダウンタウン』(日テレ)でも取り上げていたが、それらはえてして予定調和。
とにかくナイトスクープの「爆発タマゴ」はおもしろいのだ。


タマゴで思い出す。
小学4年生の夏休みの実験であたいは「酢タマゴ」に挑戦した。
ミツカンの『特濃酢』という、特別に匂いのきつい酢に生卵をどっぷりと漬けて3週間。
最初に、殻に落書した油性マジックが消え、殻が徐々に透けだし、しまいには固体化した黄味のみが残るという実験である。

タマゴを漬けさえすれば、後は「ちょっと溶けた」「昨日より溶けた」という観察日記をつければいいラクな実験である。
毎日ながめてばかりいた。


季節は夏。
机の上に置いたブツは、酢のおかげで腐りはしないもののタマゴエキスの溶け出したキョーレツな臭いでコバエを呼び寄せ、それらはぐるぐる渦を巻いては浸かり死んでいった。

卵の殻の様子とともに、溺れ死んだコバエの数を数えることも実験に加えた。
当時数々のへんな実験に溺れていたあたい、親も放任していた。


しかるべく、黄味だけが残った。
あたいは黄味をていねいにガーゼに包んで2学期の学校へ持っていった。

教室の後ろにはそれぞれの夏休みの宿題が並べられた。
当然あたいの酢タマゴもそこに置いた。

ガーゼの上に鎮座した黄金の酢タマゴ。
触るとゆっくりとタルタルに動いてまるでグミのよう。

こんな異質な物体を自らの手で作りだしたなんて
自分で自分にうっとりしていたあたい。

きっとみんな驚くだろうな、先生早く気づいてくれないかな、とちょっと鼻高々だったと思う。

しかし事件は起った!!

クラスにいた知的障害を持つ同級生がそれをぱっくり食いやがったのだ。


あぁ、あたいの酢タマゴっ!!

叱られると思ったのか、その子はトイレに逃げ込み、個室の中で酢タマゴをゲロった。

私が3週間うっとりとながめ続けた黄金の酢タマゴは
おしみなくゲロとしてトイレに流されていったのだった。




2001年11月24日土曜日

■2001年11月24日(土)

4月に電撃婚約を発表した黛ジュンが電撃破局を発表した。

夕刊フジによると破局の原因は
婚約相手の男が故意にしているイタコに
「黛ジュンと結婚したら苦労する」と言われたからだそうだ。


ひえぇ。占い信じて破局だなんて信じらんない!


しかもイタコって……


イタコで思い出した。
4年前、東北一周旅行をしたときに青森県の恐山へ寄ったときのこと。

恐山入口には”霊場アイス”と書かれたのぼりが立ち、
ふつーの棒バニラアイスが1本150円で、堂々と霊感商法で売られていたっけ。

恐山自体はおもしろく、荒涼とした景色を眺めながら濃厚な硫黄の臭いをかいでいると本当にあの世にトリップしそうに気になってくる。
水子地蔵と一緒に記念写真を撮っている外国人もいた。

あたいは、きっとイタコがあちこちで交霊してて見世物状態なんだろと思っていたが、意外にもイタコは一匹もいない。
イタコのシーズンは一週間ほど前に終わったとのことだった。無念。

ってか、イタコのシーズンって……(笑)


そういえば『ここがヘンだよ日本人』(TBS:木夜)にイタコが登場したことがあった。
調子に乗った一人のイタコが、ダイアナ妃を呼んで来てしまった。

「オォ。ワタシ クルシイ。
イマ、トテモ カナシイネ。
ヤリタイコト タクサン アッタ」

なんて茶番を演じたもんだから
疑った外国人が「2人の息子の名前言ってみて」と質問。

はたしてイタコは「ウ、ウィリアム……」しか答えられなかったのである。


イタコって霊媒士だよね?
過去の人の口承人でしょ?
なんでその人が未来を占えるのさ?
んで、なんでそれを信じるのさ?

52歳にもなってイタコ信じてる男なんて、こっちから別れてやんなよ黛ジュン。


ところで黛ジュンって誰なんだ?


2001年9月22日土曜日

■2001年9月22日(土)

高校2年の時、家庭教師のバイトをした。
知人の紹介の中学2年生男児。

こいつは曲者だった。
14歳なのに2桁の足し算、引き算さえできないのだ。

高校はもうぜったいに行けないから
せめて基礎学力ぐらいは付けさせたいという、親心らしい。


彼は下っ端ヤンキーだった。
背が低く、ボウズ頭をオキシドールで脱色。
ペンケースには、当時のヤンキー呪文「BOΦWY」の文字。
全身たばこ臭かったし、根性ヤキもいっぱいあった。

シャーペンに縫い針を仕込んで腕を彫っていたし
前歯の間をキリで穴をあけ、そこからツバをペッペペッペしていた。


教える内容はほとんど小学2、3年生の内容。
だが、覚える気のない人に教えるのは至難のワザだ。

掛け算九九も5の段くらいまではどうにかできたが
『5ダースの苗=いくつの苗があるでしょう?』なんてのは、やっぱり難問だ。

なぜならばまずダースという単位が解らないからだ。


しかし、しだいに「郵便局」なんてのも読めるようになってきたし
ローマ字も覚えてきた。

あたいは教えることが楽しくなってきて
本屋で小学生の参考書なんか見たりもするようになった。


しかし彼には盗癖があった。
勉強はうちで教えていたが、あたいの部屋に張ってあった大きなポスターを盗まれた時はさすがに頭にきた。

もうすこしバレないものを狙いなよ!

盗むものまでバカだな!


「今まで気が付かないふりしてたけど
ファミコンのカセットも私の下敷きも全部返してよね」

彼はあやまりもせず、帰って行った。
それ以来、なんとなく来たり来なかったりしているうちに
親から電話があって「もうやめたい」と言われた。


それから1年後。
あたいは高校を卒業して大学に入学するまでの間、近所のケーキ屋でバイトしていた。
そこにあのヤンキーが母親と買い物に来た。

久しぶりに会った彼は、相変わらずちびっこで、相変わらずまゆ毛を鋭く剃っていた。
無事中学校を卒業し、ちかくのスーパーに就職が決まったという。
今日はそのお祝いのケーキを買いに来たそうだ。

あたいはもうすぐ実家を出て、遠く一人暮らしを始めることを伝えた。
小学校の教諭になろうと、教育学部に進学することが決まっていたけど伝えなかった。


数日後、彼はポスターを持ってケーキ屋にきた。四つ折りだったけど。
ポスターに折り目つけるだなんてやっぱりバカだ。

なにはともあれ、もうとっくに好きでもなくなったそのタレントのポスターは返ってきた。

ネコの置物も、肥後ナイフも、ソーイングセットも帰って来なかったけど
一区切りついたかんじがしてちょっと嬉しかった。


2001年8月26日日曜日

■2001年8月26日(日)

徳光和夫が入院して、『速報!歌の大辞テン』(日テレ:水夜)の司会が福澤朗になった。

福澤さんはこれまでも、福留さんや古館さんの後釜として重宝がられていたし、一時期のコバエのようなせわしなさも落ち着き、5分ニュース番組でもそつなく原稿を読むようになった。


しかし、同じく徳さんが空けた穴『めっけMON!』(TBS:火夜)の司会をなんと故東八郎の息子、東 貴博 (Take2)がやっているではないか?
なんという大バッテキだろう。

この番組は、一流といわれる食材や道具を紹介し、その値段を当てるというクイズ番組だ。
興味のある内容なので試しに見てみたのだが、司会者なのに回答者をいじりすぎて空回りしていた。
ゴールデンでの初しきり役に舞い上がったのかは不明だが
客観的にみて司会役といくよりガヤガヤとしている印象だった。



2001年7月6日金曜日

■2001年7月6日(金)

『峰竜太のホンの昼メシ前!』(日テレ:午前)で
『ごきぶりホイホイ』の誕生秘話を取り上げていた。
いつもなら決して画面を見ることはない内容の番組だったが
目をつぶって、ラジオのように聞いてみた。

それは、某製薬会社社員の西村さんが
ゴキブリに悩む妻から
「あなたの会社でなんとかならないの?」といわれたことに端を発する。


まず、当時主流だった他社のゴキ捕獲器とはちがう
使い捨ての捕獲器(ゴキホイ)を開発する為に
西村さんはある研究機関からゴキを500匹譲り受けた。


だがしかし、人工的に孵化され飼い慣らされたゴキではなく
もっとエネルギッシュな、野生のゴキが欲しい!!
 西村さんは一年に渡り、新聞の三行広告にこう掲載した。

「ゴキブリ一匹 10円で買います ●●製薬」

立ち食いうどんが1杯60円の時代。
地元の貧乏大学生にゴキ狩りブームがわき
集められた野生種は3000匹。

これでやっと思う存分研究できた西村さん。


アメリカのネズミ捕りにヒントを得た粘着式シート。
入口の上り坂(勾配30°は特許有効中)により
後進できないゴキは前に進むしかなくポテッとシートの上に落ちるっちゅう仕組みだ。

苦労したけどめでたし、めでたし、といった様な内容の番組だった。


当時の企業は
どの職種も大もうけ狙いというよりは
「国民により必要とされるもの」を念頭に日々奮闘していたのだろう。

さして必要でもない使い捨て文化を生み出す
現代の流行企業の姿勢とはやや異なるな。


2001年7月4日水曜日

■2001年7月4日(水)

大学を卒業したらどうしようか悩んだ。

父は「コンピュータができなくてどうする。地元のパソコン専門学校へ行け」というし、
母は「一緒に陶芸教室いこうよ。車も買ってあげる」と誘った。

言っておくがうちの実家はぜんぜん金持ちではない。
が、とにかく実家に帰って来て欲しかったようだ。


あたいが高校を卒業したときには追い出すように勝手にアパートを決めてきて一人暮らしさせたのに、いまさら帰ってこいと言ったって、
楽しい一人暮らしを体験したあとに実家に帰ろうなどとは思わなかった。

とりあえず家賃補助や寮のある会社を探さねば……


一生結婚しないつもりだったあたいは
女性管理職のいる会社を就職先の第一条件にあげた。

「高給料」ではなく「永く勤められそうな会社」を探し
女性管理職がいて堅そうな会社名の某社にロックオン。
制服は白衣=一年中エアコンが効いた職場の匂いがする♪


ところが試験の当日、原因不明の熱が下がらないまま
田舎から電車でノコノコと一時間も遅刻。


しかし世は売手市場。
口からでまかせの趣味と特技で面接をのりきり
実力ではぜったいに受からなそうな理数系のその会社に就職することができた。


配属されたのはCAD営業部。
すでにOLだった友達のウケウリで「CADをやりたい」とテキトーに言った入社動機が通っちゃった。

あ~あ。事務職で気楽なOLしたかったのに
いまさら新しいこと勉強するなんていやだな。
最初からうんざり気味で始まったOL生活・・・・・・


その部署には8人いた。
事務の女性はあたいと同郷のしかも同じ学校の先輩だった。
残りは全員熊本出身という、とても片寄った人事配属。


おかげでせっかく上京したのに、あか抜けるどころか熊本弁になってしまった。

「そぎゃんこつなかよ」(そんなことないよ)
「せからしかね~」(せわしないね)
「まうごつできゃぁ」(超でかい)などと
飛び交う意味不明のネイティブ熊本弁に慣れるまでは
とんでもないところに来てしまったと心底思った。


しかしそこは
社会性などまったくなかった学生気分のあたいにいろんなことを教えくれたのだった。

まず事務職を尊敬するようになった。
ドラマでのヒマOLのイメージで、事務職はラクそうと思い込んでいたが
とにかくあれこれと人が気がつかないことを率先してやっている。
当初は鈍感なのをいいことにラクを決め込んでいたあたいだが
これに準じて少しは気を廻すようになった。


それと先輩達は
「会社の人の悪口言っちゃだめだよ。一度言い出すともうどんどん嫌になっちゃうからね」と諭した。

事実、みんな議論好きで、言いたい放題だったが腹黒くはなかった。
会社全体でも、自分に気をつかってくれないと機嫌を損ねるようなお局はいなかった。


いい人に囲まれてあたいもちょっぴり性悪を改善。
他人を一個人として考えられるようになったあげく
誰がなにをしようと以前よりも悪く思わなくなれたと思う。
てか、気にならなくなった。これは大収穫。


上司もほとんどがいい人だった。
基本的に子煩悩な上司は、部下を上手に使える。

それにしてもやっぱりOLは楽しかった。
会員制のクラブやしゃぶしゃぶやサロンや
ゲイバーやカニやフグなんかにも連れていってもらったし
朝7時に築地に集合してみんなでお寿司食べに行ったりしたし。


テニスしたり、スキー行ったり、仮装大会したり。
ホントは”みんなで”っていうのはすごくいやなのだけど今思うと楽しかったなぁ。


などと、これを読むあなたには完全に関係ない話だが
こうして文章にしてみると、思ってもみなかったほど懐かしくなってきた。

こんなにも自分に合った会社を何故辞めたのかと時々思う。
いまでもたまに元の上司に逢ったり、バイトの話を頂いたりして、ほんと幸せだな。

しかし、辞めるからにはやはりいろいろとあった。
最初のきっかけは、そう、そのころの同じ部署にストーカーがいたからだ。
この話は別のおはなし。


今明かされる真実!
あたいが会社を辞めた理由は?
近日執筆!! 請うご期待 (99%誰も興味ないね)


2001年6月29日金曜日

■2001年6月29日(金)

 月曜日に録画した『秘密の爆笑大問題』(日テレ:月深夜)で
【グラッとくる男のしぐさ】をやっていた。

今回の回答者はキャバクラ嬢。
よって、こないだの6月16日に引き続き、いい男シリーズ第2弾。

  • 仕事をしているときの目
  • 自動車でバックするとき (←もはや定番でつまらん)
  • シャツを脱いでいるときの上半身 (←TシャツかYシャツかでまた違うな)
  • はにかんで笑うとき (←「はにかむ」って言葉を最近使ってるのってレディコミぐらい?)
  • タバコの煙が目にしみたときに見せる渋い顔 (←かなり人による)
  • 顔を洗い終わってタオルを取るときの首すじ (←これも人による)
  • ネクタイを結んでいる時 (←酔っぱらって頭にネクタイ結んでいるときではない)

 ↑箇条書部をつなぎあわせるだけで、ちょっとしたメロドラマ(不倫)になるな。


2001年6月28日木曜日

■2001年6月28日(木)

またまた美里の話題。
またまた贈り物についてPart2。

今日の放送では

「料理人の神田川さんから
殻つきの牡蛎や生きてるナマコが送られて来て
ほんとうんざりでした」

なんて言ってたぞ。 

神田川敏郎……とんだ大ケガじゃん(笑)


「そういう言い方をするのは、送ってくださってる方に悪くないですか?」と、
その態度をやや咎めた記者に対しては

「私は日本人ではないのでワカリマセン」とキッパリ。
クソっ、なんたる言い訳。

ていうか、父親が外国人のハーフだからって
ガッツリ日本で育ってるだろ、あんた。

富士山バックに写真撮ってただろ、あんた。

それはもう日本人なんだよ!


あとから記者会見をひらいた堺マチャアキは
元妻のその発言に対してふるえ声であやまっていた。


離婚の原因なんて他人がわかってあげられるものではないけど
元嫁のこの人間性に
なんか離婚の原因の一旦が見えた気がしたなぁ。



2001年6月27日水曜日

■2001年6月27日(水)

今、話題の美里(堺まちゃあきの元嫁)。

PTSDかどうかはわからないけど
ある意味、たしかに精神的にはやられているようだ。

離婚会見で驚いたのは
「毎日贈り物の山でうんざりだった」という離婚理由。


「さつまあげ50枚とか、大きなスイカが2個とか、いったい何人家族だと思ってんのよって思わない?
腐っちゃうから食べなきゃならないし、毎日好きなメニューを食べられないなんて苦痛」

という離婚理由。


もったいないうんざり
狭間に立たされる焦燥感なのか??


しかし、こんな理由で離婚してしまって
2人の子どもたちへの悪影響はいかほどだろうか。

それこそ子どもたちこそ
PTSDになってしまいそうな離婚理由だ。


それに、贈り物が多くて困ってるなら
お断りの工夫など出来ないものだろうか。

芸能人の付き合いのことはわからないけど
一般庶民には離婚するほどの理由には思えない。

それならいっそ、相手に愛想つかした、と言ったほうが
一般的には受け入れやすいけどな。


まぁたぶん、前提としてマチャアキと上手くいっておらず、
「嫌いな相手に贈られてくるもので苦しめられているこのあたくし」
的なことなのだろうな。


でも、自分を解き放つことを第一に思っているようにみえてしまう美里は
はた目にはやっぱり病んでるように見えてしまうのだろうなぁ。

2001年6月21日木曜日

■2001年6月21日(木)

ちょっとぉ!
今日の『どっちの料理ショー』(日テレ:木夜)見た!?

今日の対決は「味噌VSマヨネーズ」。

なんだそりゃ?

いよいよ対決メニューがなくなったのか調味料対決。


んま、いいや、そんなことはどうでもよくて
烏骨鶏のタマゴで特選マヨネーズを作っているおばちゃんが
美味しさの秘訣として酢タマゴを加えていたのを君はみたか!

酢タマゴは昨日書いたネタ・・・どびっくり。

酢タマゴブーム到来か!?
ミツカン特濃酢が手に入る人はぜひ作ってみて下さい。


2001年6月19日火曜日

■2001年6月19日(火)

『ジャスト』(TBS:昼)にえなりかずき(江成和己)が出ていた。
今度出すCDとのタイアップ企画である。

彼の老成したひととなりや趣味(ハム無線・ゴルフ・囲碁)などはすでにもう周知の事実。チャリティー企画「じゃがいもの会」で「♪うさぎ 追~いし かの山~」なんて歌っていると、ほんとにそういう思い出を持っているかのようにしみじみと歌う。

母がマネージャーで、父は事務所の社長。
16歳の我が子に一家のすべてをゆだねている。


このえなりくんに、レポーターが「いつも笑顔の秘訣は?」と聞くと、「腹が立ったら10秒待つことです」と答えた。

「ぐっとこらえると5秒後にはだんだん怒りも治まってきて10秒たったら笑って許せます。ぜひおすすめです。この方法で今まで一度も怒ったことはありません」という。

先日、出家して話題になったポール牧よりはだいぶ言うことがまともだ。

でもあたいなら、5秒後には怒りのスピードは3倍に加速され、10秒経つ前に胸ぐらつかんでるね。やっぱ短気は損気?


でもやはり怒るべきときに怒らないのは、人をだめにする。
OLになりたての頃。
そのころかなり短気だったあたいは、バカおやじ連中に何を言われても絶対に腹を立てないよう己に鍛練を強いた。
理不尽なことを言われても冗談として切り返してあげたりしたし、ムカツク人は笑ってやり過ごせるよう努力した。


でもこれじゃまるで聞き上手のホステスだ。修業のし過ぎで言うべきことさえ言えなくなってしまった結果、あとからキョーレツな怒りが襲ってくることが多かった。思い出して腹を立てても、八つ当たりさえできゃしない。

そうして溜まったいらだちは、結局はウエッティな人間関係へと発展する。怒らないあたい、怒れなくなったあたいは、ある日突然ぶちきれた……(事件へ発展)

世の理不尽にまだ一度も怒らなくても済んでいるえなりくんは、やっぱりまだ若いのだと思う。


2001年6月18日月曜日

■2001年6月18日(月)

『TVタックル』(テレ朝:月夜)で、「ほうほう族」を取り上げていた。
会話の中にやたらと「~のほう」をちりばめる若者のことだという。
コンビニやファミレスなどでの”バイト敬語”ともいえよう。

お弁当の方、温めますか?

お箸とスプーンの方、つけますか?

メニューの方、こちらになります。

ご注文の方よろしいですか?

お飲物の方はどうなさいますか?

あいてるお皿の方、おさげします。


日本語としては変だろうけど
まぁフリーターの便宜語っちゅうことでいいんじゃないかと思う。


あたいが最近気になっているのは「~させていただく」という言い回しだ。

こないだ客で行ったライブでは全ての曲間で
「次に演奏させていただくのは……」と言っていた。
これはとっても丁寧なようだけど一曲やるごとに毎回言われるとかなり耳障りだった。

ふつーに「次に演奏するのは……」でいいと思う。

え、めんどくさいこと言うな?
うん、自分でもこんなこと思う自分がめんどくさい。


しかし「~させていただく」は、橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS:木夜)で多用しすぎてて、普段からかなりウザったく思っていた言葉なのである。

特に登場人物のタキのやつが、セリフのたびに使うのが気に障るのだ。

まぁ使用人という役柄上、しかたないのかもしれないけど、
人柄が伝わってこないというか、慇懃無礼に感じるというか。

へりくだってる自分をアピールしすぎてて下品だ。


「弥生さん、お茶をお持ちさせていただきました」

「こうしてお嬢様方がお集りになって、あたくしも一緒に楽しまさせていただいているんです」

「お夜食、こしらえさせていただきました」


あああぁぁぁ うるさい!! タキ。だまれっ! 

ほうほう族の”とりあえず敬語”のほうがよっぽどマシだ。

2001年6月16日土曜日

■2001年6月16日(土)

 『ジャクション』(テレ東:深夜)で 【男性をセクシーだと思う時は?】というアンケートをとっていた。以下結果。

 1位 タバコを吸っている手
 2位 髪をかきあげるしぐさ
 3位 自動車のバックのとき


どれもどこかで見た事あるような回答であるが、
こういうことをすればセクシーに見えると思ってるド勘違い男がいるというのも
またよくある現実である。

女がその男に惚れているからこそ成り立つ瞬間なわけで、
その行動によってどんな男もセクシーに見えるという訳では決してない。


聞き飽きた感のある3位の「自動車のバックの・・・」というのをあたいが最初に聞いたのは15年前、萬田久子(元ミスユニバース)だった。

久子は言った。

「バックするときに私のシートに彼の右手が延びて来て、
後ろを振りかえる首から鎖骨にかけてのL字ラインといい、
んもぅたまんないわよ!」


ほう。
まっさらな女子高生だったころ、久子にそう入れ知恵されたあたい。

夢見がちなあたいは、いつかそんなトキメキを自分も体験するだろうかと想像したもんだ。

どこか、そう、高級マンションの地下駐車場。
初めて来た彼の自宅。
手慣れた場所へ車を入れる彼。
右手が延びて来て……


だがそれが現実のトキメキになることは結局一度もなかった。
それはあたいのカレシたちが高級マンションに住んでいなかったからでも、車を持っていなかったからでもない。

彼らはもちろんバック運転をしたし、その時には手だって延びてきたはず。
中には真っ赤なBMWのオープンカーに乗っていた社長もいた。

でもぜんぜんときめかない!
思い描いた絵と違う!
なにかが微妙に琴線に触れてこないのだ。

たぶん女は不意な近距離にドキッとするんだと思う。

夢を描きすぎたあたいは
シミュレーションしすぎたせいで
「不意」感を得られなかったのだと思う。