その昔、学生時代に
「学ぶと真似るは、同じ語源から派生している」
と教わったことがある。
類義語辞典にもそのように書いてあった。
ある日、図画工作の教育論の授業で、
「子どもの描いた絵をそっくり真似て描いてみましょう」
という内容があり
あたいに配られた子どもの絵は
「太陽、波、クジラ、少年」がクレヨンで描かれた
簡単な線画で、「楽勝だな」と内心思った。
どの学生たちもあたいと同じく感じていたようで
ほんの数分でみなマネし終えたのでした。
そこで教授が、
「では一人ずつ起立して、
いま描いた絵と 児童が描いた元の絵を
いっしょに見せてください」と。
比べてみると、たしかにみんな(あたいも含めて)
子どもの絵に似せて描けているんだけど
なんか違うんだよね。
子どもたち(6歳)の絵には喜びや自由さがあるけど
あたいたち(20歳)の絵は線が死んでるのです。
教授いわく、
「みなさん、『こんなの簡単だ』と
内心、甘く考えていたことでしょう。
相手は子どもで、自分は大人だ、という気持ち、
その考えこそが教育者が持ってはいけない
一番の慢心です。
子どもはどうしてそう描いたのだろう、と
読み取ろうとする謙虚さがあれば
みえてくるものが違ってきます。
おのずと、真似する線も違ってきます。
(略)
物事を学ぶときに真似ることは一つの手段です。
しかし、ただ形だけを真似るのでは
学んだことにはならず、
ただの模倣にしかすぎません。
真似する過程で子どもたちが
自分で気づくことはたくさんあります。
自分から学びとる能力こそ
本当に身につけてあげたい能力です。
きみたちは教育者として
ただ結果や正解を教える授業ではなく、
過程で発見ができるような
工夫のある授業を目指してください。
よーく考えながら授業を聞いていた子どもほど
好奇心や興味が膨らみますから
目を輝かせて、たくさん質問をしてきます。
そんな授業を目指してください。」
と。
ご立派です!
あたい以外の学生は
みんな感動していたけど、
あたいは「自分には学校の先生はムリだな」と
思い知った、いくつかの瞬間のひとつです。
さてさて、ところで、
現在のあたいのガーデニングの先生、
土谷ますみ先生のブログに
先週出ていた寄せ植え
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://yoseue.exblog.jp/22493907/
あたい、これにひと目惚れ♥
この時期、そこいらのお店でも手に入るような
よくある花苗だけでつくられているのに
カワイイし、色合いもステキ!
『3ポットから作れる寄せ植え』(主婦の友社)で
土谷先生が、
「そっくりまねして作ってみるのも
上達への近道です」(P.103)と書かれてますし……
http://yosinasigokoro.blogspot.jp/2014/09/blog-post_13.html
真似して作っちゃいました~!!
先生とおなじく、作りたてで比較 |
そろえた苗はほぼ同じ。
(手前のビオラの色がやや違うだけ)
作るときには先生の写真を見ずに
いちおう自分で考えて作ってみた結果、
先生の作品と比べて
手前のワイヤープランツの
動きが死んでます (T_T)
あと、「うわぁ~♥」というトキメキや喜びも
まるで及びません。
向きがちょっと悪いのかな、
「目が合わない」というか。
先生のは、植えた直後なのに
もう何日か経ったように
ふんわりこなれているのに、
あたいのはキツそう、とか。
多々。
普段、寄せ植えに興味のない人にも
写真を見比べると、
プロとシロウトの違いがわかって
オモシロいのではないでしょーか。
でもね、
真似して作るのって
思った以上に気づくことがたくさんあった!
先生はなんでこうしたのかなーと
想像しつつ組んでいくと、
お教室でのアドバイスが
耳元にふとよみがえってきて
あー、なるほど、こういうことか、と
実感できるのが楽しいかったです♪
マネは悪だと思う気持ちもやはりあるけれど
今回は「真似ぶ」て「学ぶ」ことがとても大きかったな。
形だけ真似るのではなく、
真似る過程から学ぶ!これね!!
あたいは心が狭~くて細~くてカッチカチだから
真似されるの、大嫌いだけどね(笑)
今回、こころよく了解してくださった
土谷ますみ先生の優しさと余裕に感謝!です。
■kusakiの「この植物をお買い!」
http://yoseue.exblog.jp/
↑ 今日の赤い寄せ植えもステキですよー