2014年8月17日日曜日
松尾芭蕉の思い出(2)
昨日に引き続き、あたいが小学生時代の
松尾芭蕉の思い出。
内田先生(4年生)の国語のテストで。
『松尾芭蕉の句で知っているものを書きなさい』
という設問があった。
当時から生意気だったあたいは
授業で出てこなかった芭蕉の句を書いたら
きっとカッコイイはず!と考えてひねりだした答えが、
松島や ああ松島や 松島や
でした。
そのちょっと前にテレビの旅番組で
「芭蕉の句で有名な、あの松島に来ています」と
紹介されていたのを覚えていたのだ。
ところが翌日返された採点結果はなんと「×」。
先生に不正解の理由を尋ねたところ、
「そんな俳句、知らないからダメ」と (;゜∀゜)?
今みたいにネットで調べられない時代とは言え
ものの本をみれば調べられたであろうに。
(ああ、この先生は今でいう「問題のある教師」で、
たまに校長先生が授業をチェックしに来たり、
指導員が付いたりする教師なのでした)
両親には
「そりゃ、授業で教わった句を書かないほうが悪い。
テストっていうのは教わったことを書くもんだ」
おばあちゃんにも
「そりゃ、小賢しいことをしたまめ吉が悪い」と、
家族にもあっさり片付けられ
そんなもんか、とおとなしく黙った
ちょっぴり苦い思い出でした。
……と、今ふと気になって調べたら
な、なんと、その句は松尾芭蕉の句ではないことが判明!
wikipediaによると、
松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、
あまりに絶景なので句が浮かばず、
「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだという
逸話があるが、実際は後世の狂歌師の田原坊の作とされる。(略)
なお、小説家の司馬遼太郎は、
紀行集『街道をゆく』「仙台・石巻」にて、
「松島や ああ松島や 松島や」の句が芭蕉作として
松島の看板などの観光資料に記されていることに対し、
松島の観光関係者を批判している。
とのこと。
ま、信憑性の薄いウィキペディアがソースじゃアレだけど……
ウィキで「宮城県松島の位置」として載っている地図は
明らかに「福島県」だし~ (^o^;)
さらに調べてみると、こちらのサイトによれば
4年前の2010年でも
「松島や…… 芭蕉」と印刷された手ぬぐいが
現地では売られているそうです。
まぁ、担任のヤル気のなさはさておき、
今や「作者が違うのが通説」なのであれば
あきらめもつくってなもん
小学4年生のしょっぱい「芭蕉の思い出」でした。