2001年7月4日水曜日

■2001年7月4日(水)

大学を卒業したらどうしようか悩んだ。

父は「コンピュータができなくてどうする。地元のパソコン専門学校へ行け」というし、
母は「一緒に陶芸教室いこうよ。車も買ってあげる」と誘った。

言っておくがうちの実家はぜんぜん金持ちではない。
が、とにかく実家に帰って来て欲しかったようだ。


あたいが高校を卒業したときには追い出すように勝手にアパートを決めてきて一人暮らしさせたのに、いまさら帰ってこいと言ったって、
楽しい一人暮らしを体験したあとに実家に帰ろうなどとは思わなかった。

とりあえず家賃補助や寮のある会社を探さねば……


一生結婚しないつもりだったあたいは
女性管理職のいる会社を就職先の第一条件にあげた。

「高給料」ではなく「永く勤められそうな会社」を探し
女性管理職がいて堅そうな会社名の某社にロックオン。
制服は白衣=一年中エアコンが効いた職場の匂いがする♪


ところが試験の当日、原因不明の熱が下がらないまま
田舎から電車でノコノコと一時間も遅刻。


しかし世は売手市場。
口からでまかせの趣味と特技で面接をのりきり
実力ではぜったいに受からなそうな理数系のその会社に就職することができた。


配属されたのはCAD営業部。
すでにOLだった友達のウケウリで「CADをやりたい」とテキトーに言った入社動機が通っちゃった。

あ~あ。事務職で気楽なOLしたかったのに
いまさら新しいこと勉強するなんていやだな。
最初からうんざり気味で始まったOL生活・・・・・・


その部署には8人いた。
事務の女性はあたいと同郷のしかも同じ学校の先輩だった。
残りは全員熊本出身という、とても片寄った人事配属。


おかげでせっかく上京したのに、あか抜けるどころか熊本弁になってしまった。

「そぎゃんこつなかよ」(そんなことないよ)
「せからしかね~」(せわしないね)
「まうごつできゃぁ」(超でかい)などと
飛び交う意味不明のネイティブ熊本弁に慣れるまでは
とんでもないところに来てしまったと心底思った。


しかしそこは
社会性などまったくなかった学生気分のあたいにいろんなことを教えくれたのだった。

まず事務職を尊敬するようになった。
ドラマでのヒマOLのイメージで、事務職はラクそうと思い込んでいたが
とにかくあれこれと人が気がつかないことを率先してやっている。
当初は鈍感なのをいいことにラクを決め込んでいたあたいだが
これに準じて少しは気を廻すようになった。


それと先輩達は
「会社の人の悪口言っちゃだめだよ。一度言い出すともうどんどん嫌になっちゃうからね」と諭した。

事実、みんな議論好きで、言いたい放題だったが腹黒くはなかった。
会社全体でも、自分に気をつかってくれないと機嫌を損ねるようなお局はいなかった。


いい人に囲まれてあたいもちょっぴり性悪を改善。
他人を一個人として考えられるようになったあげく
誰がなにをしようと以前よりも悪く思わなくなれたと思う。
てか、気にならなくなった。これは大収穫。


上司もほとんどがいい人だった。
基本的に子煩悩な上司は、部下を上手に使える。

それにしてもやっぱりOLは楽しかった。
会員制のクラブやしゃぶしゃぶやサロンや
ゲイバーやカニやフグなんかにも連れていってもらったし
朝7時に築地に集合してみんなでお寿司食べに行ったりしたし。


テニスしたり、スキー行ったり、仮装大会したり。
ホントは”みんなで”っていうのはすごくいやなのだけど今思うと楽しかったなぁ。


などと、これを読むあなたには完全に関係ない話だが
こうして文章にしてみると、思ってもみなかったほど懐かしくなってきた。

こんなにも自分に合った会社を何故辞めたのかと時々思う。
いまでもたまに元の上司に逢ったり、バイトの話を頂いたりして、ほんと幸せだな。

しかし、辞めるからにはやはりいろいろとあった。
最初のきっかけは、そう、そのころの同じ部署にストーカーがいたからだ。
この話は別のおはなし。


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