2014年8月16日土曜日

松尾芭蕉の思い出(1)



小学校6年、国語の授業でのこと。


    閑さや 岩にしみいる 蝉の声


先生が「蝉は何匹いると思いますか?」と質問し、

あたいを含め、ほとんどの生徒が
「1匹か2匹」に手を挙げた。



あたいのイメージでは、暑い日に
「木陰は涼しいなぁ~ 蝉が1匹しずかに鳴いてるなぁ~」
みたいな ワビサビ的なことかと。静寂。


なので、先生が
「100匹くらいいると思う人~?」と聞いたときに
クラスのやんちゃ系が挙手して笑いをとったあとに

「先生もそう思います!」と言ったときには「へ?」と驚いた。


昭和の小学生にとって「100」といえば
=最大数って意味ですよ!
そ、そんなにたくさんのセミが!?


以下、富田先生の解釈。

暑っつーーい夏の日、
ふと木陰で休んで一息ついたら
それまで意識せず聞いていた蝉の声が
急にはっきりと聞こえてきた。

しかも、蝉はものすごいいっぱいいるようだ。

大合唱で、ミンミンもツクツクも
とにかくごちゃまぜに大音量でウワァーーー!!

昔の人は、大きな音の空間(ライブなど)に包まれる体験は
今の人のようにはない。



だから。



暑すぎて意識がもうろうと混濁しているときに、

セミの声のあまりの多さに耳がキーンと遠のいて


うるさすぎて逆に無音(閑かさや)なのだ!と。





おおおおおおーーっ!!!!


絵のようにのっぺりした静寂情景が
今まさに動き出す、聞こえてくる、バーチャル体験!

ノロノロと筆を出して「コホン、ここで一句」なーんて
やってるのかと思ってたけど、違う、
ほとばしるエナジー! あふれるパッション!


たった「五・七・五」文字で読む人をワープ体感させてしまう
松尾芭蕉、イカすわぁ~


俳句ってすごいなぁ~ と。




「あくまでも先生の考えだけどね」という一言でまた、


学術的に正しいかどうかではなく
自由に感じてもいいのだということに

ヘレンケラーの「ウォータ-!!」ばりに
「フリーダム!!」と叫んだあたいでありました。


たしかに芭蕉ほどのレベルの人が
静かな情景を「閑さや」なんて
ムダな言葉いれて説明をするわけないよね。



その後、
『斉藤茂吉らによる
なにセミが鳴いているのか論争』の歴史を知り
ディープに深読みする楽しみと、

他人がどう思うかよりも
独自の解釈で自分が楽しめばいいのだと、

自己完結をよしとする世界にハマっていった
12歳、まめ吉少女だったのであります。