2001年9月22日土曜日

■2001年9月22日(土)

高校2年の時、家庭教師のバイトをした。
知人の紹介の中学2年生男児。

こいつは曲者だった。
14歳なのに2桁の足し算、引き算さえできないのだ。

高校はもうぜったいに行けないから
せめて基礎学力ぐらいは付けさせたいという、親心らしい。


彼は下っ端ヤンキーだった。
背が低く、ボウズ頭をオキシドールで脱色。
ペンケースには、当時のヤンキー呪文「BOΦWY」の文字。
全身たばこ臭かったし、根性ヤキもいっぱいあった。

シャーペンに縫い針を仕込んで腕を彫っていたし
前歯の間をキリで穴をあけ、そこからツバをペッペペッペしていた。


教える内容はほとんど小学2、3年生の内容。
だが、覚える気のない人に教えるのは至難のワザだ。

掛け算九九も5の段くらいまではどうにかできたが
『5ダースの苗=いくつの苗があるでしょう?』なんてのは、やっぱり難問だ。

なぜならばまずダースという単位が解らないからだ。


しかし、しだいに「郵便局」なんてのも読めるようになってきたし
ローマ字も覚えてきた。

あたいは教えることが楽しくなってきて
本屋で小学生の参考書なんか見たりもするようになった。


しかし彼には盗癖があった。
勉強はうちで教えていたが、あたいの部屋に張ってあった大きなポスターを盗まれた時はさすがに頭にきた。

もうすこしバレないものを狙いなよ!

盗むものまでバカだな!


「今まで気が付かないふりしてたけど
ファミコンのカセットも私の下敷きも全部返してよね」

彼はあやまりもせず、帰って行った。
それ以来、なんとなく来たり来なかったりしているうちに
親から電話があって「もうやめたい」と言われた。


それから1年後。
あたいは高校を卒業して大学に入学するまでの間、近所のケーキ屋でバイトしていた。
そこにあのヤンキーが母親と買い物に来た。

久しぶりに会った彼は、相変わらずちびっこで、相変わらずまゆ毛を鋭く剃っていた。
無事中学校を卒業し、ちかくのスーパーに就職が決まったという。
今日はそのお祝いのケーキを買いに来たそうだ。

あたいはもうすぐ実家を出て、遠く一人暮らしを始めることを伝えた。
小学校の教諭になろうと、教育学部に進学することが決まっていたけど伝えなかった。


数日後、彼はポスターを持ってケーキ屋にきた。四つ折りだったけど。
ポスターに折り目つけるだなんてやっぱりバカだ。

なにはともあれ、もうとっくに好きでもなくなったそのタレントのポスターは返ってきた。

ネコの置物も、肥後ナイフも、ソーイングセットも帰って来なかったけど
一区切りついたかんじがしてちょっと嬉しかった。


2001年8月26日日曜日

■2001年8月26日(日)

徳光和夫が入院して、『速報!歌の大辞テン』(日テレ:水夜)の司会が福澤朗になった。

福澤さんはこれまでも、福留さんや古館さんの後釜として重宝がられていたし、一時期のコバエのようなせわしなさも落ち着き、5分ニュース番組でもそつなく原稿を読むようになった。


しかし、同じく徳さんが空けた穴『めっけMON!』(TBS:火夜)の司会をなんと故東八郎の息子、東 貴博 (Take2)がやっているではないか?
なんという大バッテキだろう。

この番組は、一流といわれる食材や道具を紹介し、その値段を当てるというクイズ番組だ。
興味のある内容なので試しに見てみたのだが、司会者なのに回答者をいじりすぎて空回りしていた。
ゴールデンでの初しきり役に舞い上がったのかは不明だが
客観的にみて司会役といくよりガヤガヤとしている印象だった。



2001年7月6日金曜日

■2001年7月6日(金)

『峰竜太のホンの昼メシ前!』(日テレ:午前)で
『ごきぶりホイホイ』の誕生秘話を取り上げていた。
いつもなら決して画面を見ることはない内容の番組だったが
目をつぶって、ラジオのように聞いてみた。

それは、某製薬会社社員の西村さんが
ゴキブリに悩む妻から
「あなたの会社でなんとかならないの?」といわれたことに端を発する。


まず、当時主流だった他社のゴキ捕獲器とはちがう
使い捨ての捕獲器(ゴキホイ)を開発する為に
西村さんはある研究機関からゴキを500匹譲り受けた。


だがしかし、人工的に孵化され飼い慣らされたゴキではなく
もっとエネルギッシュな、野生のゴキが欲しい!!
 西村さんは一年に渡り、新聞の三行広告にこう掲載した。

「ゴキブリ一匹 10円で買います ●●製薬」

立ち食いうどんが1杯60円の時代。
地元の貧乏大学生にゴキ狩りブームがわき
集められた野生種は3000匹。

これでやっと思う存分研究できた西村さん。


アメリカのネズミ捕りにヒントを得た粘着式シート。
入口の上り坂(勾配30°は特許有効中)により
後進できないゴキは前に進むしかなくポテッとシートの上に落ちるっちゅう仕組みだ。

苦労したけどめでたし、めでたし、といった様な内容の番組だった。


当時の企業は
どの職種も大もうけ狙いというよりは
「国民により必要とされるもの」を念頭に日々奮闘していたのだろう。

さして必要でもない使い捨て文化を生み出す
現代の流行企業の姿勢とはやや異なるな。


2001年7月4日水曜日

■2001年7月4日(水)

大学を卒業したらどうしようか悩んだ。

父は「コンピュータができなくてどうする。地元のパソコン専門学校へ行け」というし、
母は「一緒に陶芸教室いこうよ。車も買ってあげる」と誘った。

言っておくがうちの実家はぜんぜん金持ちではない。
が、とにかく実家に帰って来て欲しかったようだ。


あたいが高校を卒業したときには追い出すように勝手にアパートを決めてきて一人暮らしさせたのに、いまさら帰ってこいと言ったって、
楽しい一人暮らしを体験したあとに実家に帰ろうなどとは思わなかった。

とりあえず家賃補助や寮のある会社を探さねば……


一生結婚しないつもりだったあたいは
女性管理職のいる会社を就職先の第一条件にあげた。

「高給料」ではなく「永く勤められそうな会社」を探し
女性管理職がいて堅そうな会社名の某社にロックオン。
制服は白衣=一年中エアコンが効いた職場の匂いがする♪


ところが試験の当日、原因不明の熱が下がらないまま
田舎から電車でノコノコと一時間も遅刻。


しかし世は売手市場。
口からでまかせの趣味と特技で面接をのりきり
実力ではぜったいに受からなそうな理数系のその会社に就職することができた。


配属されたのはCAD営業部。
すでにOLだった友達のウケウリで「CADをやりたい」とテキトーに言った入社動機が通っちゃった。

あ~あ。事務職で気楽なOLしたかったのに
いまさら新しいこと勉強するなんていやだな。
最初からうんざり気味で始まったOL生活・・・・・・


その部署には8人いた。
事務の女性はあたいと同郷のしかも同じ学校の先輩だった。
残りは全員熊本出身という、とても片寄った人事配属。


おかげでせっかく上京したのに、あか抜けるどころか熊本弁になってしまった。

「そぎゃんこつなかよ」(そんなことないよ)
「せからしかね~」(せわしないね)
「まうごつできゃぁ」(超でかい)などと
飛び交う意味不明のネイティブ熊本弁に慣れるまでは
とんでもないところに来てしまったと心底思った。


しかしそこは
社会性などまったくなかった学生気分のあたいにいろんなことを教えくれたのだった。

まず事務職を尊敬するようになった。
ドラマでのヒマOLのイメージで、事務職はラクそうと思い込んでいたが
とにかくあれこれと人が気がつかないことを率先してやっている。
当初は鈍感なのをいいことにラクを決め込んでいたあたいだが
これに準じて少しは気を廻すようになった。


それと先輩達は
「会社の人の悪口言っちゃだめだよ。一度言い出すともうどんどん嫌になっちゃうからね」と諭した。

事実、みんな議論好きで、言いたい放題だったが腹黒くはなかった。
会社全体でも、自分に気をつかってくれないと機嫌を損ねるようなお局はいなかった。


いい人に囲まれてあたいもちょっぴり性悪を改善。
他人を一個人として考えられるようになったあげく
誰がなにをしようと以前よりも悪く思わなくなれたと思う。
てか、気にならなくなった。これは大収穫。


上司もほとんどがいい人だった。
基本的に子煩悩な上司は、部下を上手に使える。

それにしてもやっぱりOLは楽しかった。
会員制のクラブやしゃぶしゃぶやサロンや
ゲイバーやカニやフグなんかにも連れていってもらったし
朝7時に築地に集合してみんなでお寿司食べに行ったりしたし。


テニスしたり、スキー行ったり、仮装大会したり。
ホントは”みんなで”っていうのはすごくいやなのだけど今思うと楽しかったなぁ。


などと、これを読むあなたには完全に関係ない話だが
こうして文章にしてみると、思ってもみなかったほど懐かしくなってきた。

こんなにも自分に合った会社を何故辞めたのかと時々思う。
いまでもたまに元の上司に逢ったり、バイトの話を頂いたりして、ほんと幸せだな。

しかし、辞めるからにはやはりいろいろとあった。
最初のきっかけは、そう、そのころの同じ部署にストーカーがいたからだ。
この話は別のおはなし。


今明かされる真実!
あたいが会社を辞めた理由は?
近日執筆!! 請うご期待 (99%誰も興味ないね)


2001年6月29日金曜日

■2001年6月29日(金)

 月曜日に録画した『秘密の爆笑大問題』(日テレ:月深夜)で
【グラッとくる男のしぐさ】をやっていた。

今回の回答者はキャバクラ嬢。
よって、こないだの6月16日に引き続き、いい男シリーズ第2弾。

  • 仕事をしているときの目
  • 自動車でバックするとき (←もはや定番でつまらん)
  • シャツを脱いでいるときの上半身 (←TシャツかYシャツかでまた違うな)
  • はにかんで笑うとき (←「はにかむ」って言葉を最近使ってるのってレディコミぐらい?)
  • タバコの煙が目にしみたときに見せる渋い顔 (←かなり人による)
  • 顔を洗い終わってタオルを取るときの首すじ (←これも人による)
  • ネクタイを結んでいる時 (←酔っぱらって頭にネクタイ結んでいるときではない)

 ↑箇条書部をつなぎあわせるだけで、ちょっとしたメロドラマ(不倫)になるな。


2001年6月28日木曜日

■2001年6月28日(木)

またまた美里の話題。
またまた贈り物についてPart2。

今日の放送では

「料理人の神田川さんから
殻つきの牡蛎や生きてるナマコが送られて来て
ほんとうんざりでした」

なんて言ってたぞ。 

神田川敏郎……とんだ大ケガじゃん(笑)


「そういう言い方をするのは、送ってくださってる方に悪くないですか?」と、
その態度をやや咎めた記者に対しては

「私は日本人ではないのでワカリマセン」とキッパリ。
クソっ、なんたる言い訳。

ていうか、父親が外国人のハーフだからって
ガッツリ日本で育ってるだろ、あんた。

富士山バックに写真撮ってただろ、あんた。

それはもう日本人なんだよ!


あとから記者会見をひらいた堺マチャアキは
元妻のその発言に対してふるえ声であやまっていた。


離婚の原因なんて他人がわかってあげられるものではないけど
元嫁のこの人間性に
なんか離婚の原因の一旦が見えた気がしたなぁ。



2001年6月27日水曜日

■2001年6月27日(水)

今、話題の美里(堺まちゃあきの元嫁)。

PTSDかどうかはわからないけど
ある意味、たしかに精神的にはやられているようだ。

離婚会見で驚いたのは
「毎日贈り物の山でうんざりだった」という離婚理由。


「さつまあげ50枚とか、大きなスイカが2個とか、いったい何人家族だと思ってんのよって思わない?
腐っちゃうから食べなきゃならないし、毎日好きなメニューを食べられないなんて苦痛」

という離婚理由。


もったいないうんざり
狭間に立たされる焦燥感なのか??


しかし、こんな理由で離婚してしまって
2人の子どもたちへの悪影響はいかほどだろうか。

それこそ子どもたちこそ
PTSDになってしまいそうな離婚理由だ。


それに、贈り物が多くて困ってるなら
お断りの工夫など出来ないものだろうか。

芸能人の付き合いのことはわからないけど
一般庶民には離婚するほどの理由には思えない。

それならいっそ、相手に愛想つかした、と言ったほうが
一般的には受け入れやすいけどな。


まぁたぶん、前提としてマチャアキと上手くいっておらず、
「嫌いな相手に贈られてくるもので苦しめられているこのあたくし」
的なことなのだろうな。


でも、自分を解き放つことを第一に思っているようにみえてしまう美里は
はた目にはやっぱり病んでるように見えてしまうのだろうなぁ。

2001年6月21日木曜日

■2001年6月21日(木)

ちょっとぉ!
今日の『どっちの料理ショー』(日テレ:木夜)見た!?

今日の対決は「味噌VSマヨネーズ」。

なんだそりゃ?

いよいよ対決メニューがなくなったのか調味料対決。


んま、いいや、そんなことはどうでもよくて
烏骨鶏のタマゴで特選マヨネーズを作っているおばちゃんが
美味しさの秘訣として酢タマゴを加えていたのを君はみたか!

酢タマゴは昨日書いたネタ・・・どびっくり。

酢タマゴブーム到来か!?
ミツカン特濃酢が手に入る人はぜひ作ってみて下さい。


2001年6月19日火曜日

■2001年6月19日(火)

『ジャスト』(TBS:昼)にえなりかずき(江成和己)が出ていた。
今度出すCDとのタイアップ企画である。

彼の老成したひととなりや趣味(ハム無線・ゴルフ・囲碁)などはすでにもう周知の事実。チャリティー企画「じゃがいもの会」で「♪うさぎ 追~いし かの山~」なんて歌っていると、ほんとにそういう思い出を持っているかのようにしみじみと歌う。

母がマネージャーで、父は事務所の社長。
16歳の我が子に一家のすべてをゆだねている。


このえなりくんに、レポーターが「いつも笑顔の秘訣は?」と聞くと、「腹が立ったら10秒待つことです」と答えた。

「ぐっとこらえると5秒後にはだんだん怒りも治まってきて10秒たったら笑って許せます。ぜひおすすめです。この方法で今まで一度も怒ったことはありません」という。

先日、出家して話題になったポール牧よりはだいぶ言うことがまともだ。

でもあたいなら、5秒後には怒りのスピードは3倍に加速され、10秒経つ前に胸ぐらつかんでるね。やっぱ短気は損気?


でもやはり怒るべきときに怒らないのは、人をだめにする。
OLになりたての頃。
そのころかなり短気だったあたいは、バカおやじ連中に何を言われても絶対に腹を立てないよう己に鍛練を強いた。
理不尽なことを言われても冗談として切り返してあげたりしたし、ムカツク人は笑ってやり過ごせるよう努力した。


でもこれじゃまるで聞き上手のホステスだ。修業のし過ぎで言うべきことさえ言えなくなってしまった結果、あとからキョーレツな怒りが襲ってくることが多かった。思い出して腹を立てても、八つ当たりさえできゃしない。

そうして溜まったいらだちは、結局はウエッティな人間関係へと発展する。怒らないあたい、怒れなくなったあたいは、ある日突然ぶちきれた……(事件へ発展)

世の理不尽にまだ一度も怒らなくても済んでいるえなりくんは、やっぱりまだ若いのだと思う。


2001年6月18日月曜日

■2001年6月18日(月)

『TVタックル』(テレ朝:月夜)で、「ほうほう族」を取り上げていた。
会話の中にやたらと「~のほう」をちりばめる若者のことだという。
コンビニやファミレスなどでの”バイト敬語”ともいえよう。

お弁当の方、温めますか?

お箸とスプーンの方、つけますか?

メニューの方、こちらになります。

ご注文の方よろしいですか?

お飲物の方はどうなさいますか?

あいてるお皿の方、おさげします。


日本語としては変だろうけど
まぁフリーターの便宜語っちゅうことでいいんじゃないかと思う。


あたいが最近気になっているのは「~させていただく」という言い回しだ。

こないだ客で行ったライブでは全ての曲間で
「次に演奏させていただくのは……」と言っていた。
これはとっても丁寧なようだけど一曲やるごとに毎回言われるとかなり耳障りだった。

ふつーに「次に演奏するのは……」でいいと思う。

え、めんどくさいこと言うな?
うん、自分でもこんなこと思う自分がめんどくさい。


しかし「~させていただく」は、橋田壽賀子ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』(TBS:木夜)で多用しすぎてて、普段からかなりウザったく思っていた言葉なのである。

特に登場人物のタキのやつが、セリフのたびに使うのが気に障るのだ。

まぁ使用人という役柄上、しかたないのかもしれないけど、
人柄が伝わってこないというか、慇懃無礼に感じるというか。

へりくだってる自分をアピールしすぎてて下品だ。


「弥生さん、お茶をお持ちさせていただきました」

「こうしてお嬢様方がお集りになって、あたくしも一緒に楽しまさせていただいているんです」

「お夜食、こしらえさせていただきました」


あああぁぁぁ うるさい!! タキ。だまれっ! 

ほうほう族の”とりあえず敬語”のほうがよっぽどマシだ。

2001年6月16日土曜日

■2001年6月16日(土)

 『ジャクション』(テレ東:深夜)で 【男性をセクシーだと思う時は?】というアンケートをとっていた。以下結果。

 1位 タバコを吸っている手
 2位 髪をかきあげるしぐさ
 3位 自動車のバックのとき


どれもどこかで見た事あるような回答であるが、
こういうことをすればセクシーに見えると思ってるド勘違い男がいるというのも
またよくある現実である。

女がその男に惚れているからこそ成り立つ瞬間なわけで、
その行動によってどんな男もセクシーに見えるという訳では決してない。


聞き飽きた感のある3位の「自動車のバックの・・・」というのをあたいが最初に聞いたのは15年前、萬田久子(元ミスユニバース)だった。

久子は言った。

「バックするときに私のシートに彼の右手が延びて来て、
後ろを振りかえる首から鎖骨にかけてのL字ラインといい、
んもぅたまんないわよ!」


ほう。
まっさらな女子高生だったころ、久子にそう入れ知恵されたあたい。

夢見がちなあたいは、いつかそんなトキメキを自分も体験するだろうかと想像したもんだ。

どこか、そう、高級マンションの地下駐車場。
初めて来た彼の自宅。
手慣れた場所へ車を入れる彼。
右手が延びて来て……


だがそれが現実のトキメキになることは結局一度もなかった。
それはあたいのカレシたちが高級マンションに住んでいなかったからでも、車を持っていなかったからでもない。

彼らはもちろんバック運転をしたし、その時には手だって延びてきたはず。
中には真っ赤なBMWのオープンカーに乗っていた社長もいた。

でもぜんぜんときめかない!
思い描いた絵と違う!
なにかが微妙に琴線に触れてこないのだ。

たぶん女は不意な近距離にドキッとするんだと思う。

夢を描きすぎたあたいは
シミュレーションしすぎたせいで
「不意」感を得られなかったのだと思う。