2003年11月26日水曜日

メタロフォン 最終



A=420に調整すべく、
チューナー片手に鉄を削った。
もう音叉なみにドぴったり。


白黒の鍵盤がどうも「どぎつく」見えたので、ちょい色替え。
思ってた発色とちと違って、なんか……へん??


しかし、あぁ。
色塗ったらピッチ変わった。あたりまえか。やりなおし。


2003年11月25日火曜日

わんこの保湿クリームをつくった



犬くんは口の両端が切れやすい。
犬くんは足のパッドが荒れやすい。

で、自家製クリーム。
主な原料は 蜜ロウ・オイル・プロポリス +α。
わんこちんがちょっとくらいペロペロなめちゃっても大丈夫!

これ、効果テキメン。
ヒトでももちろん使える。


2003年11月20日木曜日

チェンバロ製作

いよいよチェンバロのキットが届きそうなのだが、
なにしろまだ試作品段階のキット。

「部品が足らない」だの「仕様ができていない」だので
我が家への納品日が変更しつづけている。

キットとはいえ「素材が入っている」という程度のもの。
52の鍵盤を小刀で切り出したりと
なかなか手間はかかる。


当初は来たらすぐにでも造り始めるつもりだったのだが
こうして数日待たされている間に
ネットであれこれ楽器をみていて新たな欲求がわいてきてしまった。


それは「象嵌」(ぞうがん)。
自分でたべたアワビの貝をトッププレートにはめ込んでいる強者もいた!

アワビ貝で象嵌は私にはちと無理だけど(技術的にもお値段的にも)
でも木材象嵌ならがんばれば出来そう!?

黒檀や紫檀の端材とか売ってる店ないかなぁ。
エンジ色のキレイな木はなんていう種類なんかなぁ。

ただ組み立てるだけじゃなくてなんか施したい。


またまた明日ライブ

明日は今年最後のライブ。時間いっぱい、たくさん曲やります!

かねてより楽器の持ち替えは多かったですが、
1曲で3楽器かけもち、なんてことが増えてきました。

なので、最近では楽譜ではなく
メモ書きみたいなものを見ながら演奏してたりしてます。
(次はホイッスル、とか……)

今日はリハのあと、たかこさんと一緒に新宿のハンズへ。
クリスマスのイルミネーション、都会っぽかった~!


2003年11月18日火曜日

ライブ終了

いらして下さった皆様、どうもありがとうございました。
といっても、ココを見てくれているのはみんな演者ばかりだった!

あれほどたくさんお客様が来てくれるとは!

あの狭いスペースに、100人以上は入ってたよねぇ???
いやぁ~ 盛り上がったなぁ。
すごく楽しかったです。

企画してくれた方々に感謝。


最後、ドタバタで帰宅したのにやっぱり終バスに乗りそこねました。
で、迂回した先で最終電車にのり、深夜バスに乗り、、、

たかが荻窪から1時間50分もかかって帰りましたよ!
はぁちかれたーーーーー

来週は年内最後のライブ!(代々木へレッツゴー)


2003年11月17日月曜日

頭痛

ぬぅ。今日寝て起きたらライブにいかなきゃなのに。
今日は朝からずっと頭痛で、テレビの音も痛いかんじ。
当然、自分の練習する音なんて耳痛くて出来ない。

右のコメカミが5秒に1回くらいのハイスパンで
「ズキっ!!」としやがります。

痛い……頭痛薬のんでないけど。


そういえばこの夏~秋は6回飛行機に乗った。
飛行機に乗ると耳がすごく痛くなって、
たいてい翌日まで引きずる。

着陸1時間前に頭痛薬を飲むとよい、という
情報をネットで拾ったので次回試してみたい。

頭痛薬って不思議だー
どういう作用で耳痛が和らぐんだろう??

痛いという感覚をなくすんかなぁ?

でもつねると痛いし。


2003年11月11日火曜日

いらないリコーダー

「いらないリコーダーをください」と
オモテの日記に書いたところ、
何に使うのかと問うメールをいただきました。

実は、ポルタティーフ・オルガンを自作しようと思っているのです。
構想5年。
25腱くらいの小型のオルガン。
膝の上に抱えて左手でふいごを、右手で鍵盤を弾いて演奏します。


1つの鍵盤に1つの笛が直結しているので
23腱つくろうとしたら23本のリコーダーが必要。

ゆえに「いらないリコーダーください」であーる。


キットも売っているのだけどバカ高いし(50万とか)、
金属笛のだと音がバカでかいらしい。

木管製のオルガンもあり
いずれはそれを自作したいのだけど、
たまたま家にいらないソプラノリコーダーが7本あったので
これを突ッ刺して造るのもいいかな、と思って。

よって、ボロくてもクサくてもオールオッケー。
あなたの実家で
もう誰にも吹いてもらうこともなさそうな悲しいリコーダーを
もう一度鳴らしてみようではないかっ!!


目指せ、あと最低16本!!!

ソプラノでもアルトでも歓迎!!

もちろん、テナーやバス、コントラバスなんかでもオッケーよん。


100円ショップにも売ってるくらいだから
買ったところでたかがしれているのだけど
誰かのリコーダーってのがいいと強烈に思う。


私の自作楽器でみんなの思い出のリコーダーが
一緒にトゥトゥアンサンブルですよっ!!! 
きゃあ。ス・テ・キ!

っつーことで、だれか、ください。
送料も持ってくれるなら、なお良し。
さぁ、一口乗らねぇかい、だんなっ!

ついでにいらなくなった&鳴らなくなったピアニカも募集中。
つか、いらないアコースティック楽器、ちょうだ~い!

(コンサーティーナとかも大歓迎)←ふざけんな


2003年11月8日土曜日

わんことカマキリ

わんこくんは今日、生まれて初めてカマキリという生物を見た。



おののきつつ、手でちょこんとつつき、
おののきつつ、鼻でちょこんとつついた。

か、かわいい~!!

カマキリが歩いている後ろを
ノコノコと付いていきやがる。

か、かわいすぎる~!!

しかしほんの2分も遊ぶと、お家に帰るアピールをし始めた。

犬の保育園でも
「最近、ボールで遊んでてもすぐに飽きちゃうんですよ」と言われたばかり。
やっぱり飽きっぽいのか?

もう無邪気な子犬のようには はしゃげないお年頃かい? 


2003年11月7日金曜日

メタロフォン+共鳴箱



ついに完成。メタロフォン+共鳴箱。
元々の形はhttp://www.youngole.com/toys/108-00003.html"こちら。

こうして見ると、着色した木もなかなかいいではないすか。
音も伸び~で楽器的にもイイかんじ。大成功!!

暇があれば、マレットの先っぽに自作のフェルトをかぶせたい。
今はティッシュ巻きつけてるので……しょぼい。

あと、鍵盤の色もちょっとシックに塗り替えたい。


さて、次はポータブル・チェンバロを作る。
今月中にキットが届く予定。
来年か再来年、日本のとあるメーカーがキット販売するものの試作品。
作りながら製作マニュアルを作る仕事。


来年はプサルテリーなんかも自作したいな。
去年、マウンテン・ダルシマー作ったときに
プサルテリーもぜんぜん余裕ですぐ作れそうだと思った次第。

弓で弾くタイプじゃなくて、羽でつまびいて弾くタイプがいいな。

昔、ピアノの弦をハープみたいに指弾きして怒られたっけ。
あれを思う存分やってやるんだ~!へーい!!

あと、今、ポルタティーフ・オルガンを自作するための本をカナダの楽器製作者に問いあわせている。
もちろん英語でメールしたよー!
エキサイト翻訳を繰り返して作った英文で意味通じるかなぁ


ヤフオクにて100円で落とした三味線の長唄曲集が届いた。

もう、三線三味線たのしすぎ!
だれか一緒にやろうよーーー。

とかなんとかいって、今月はライブ数本あるし
お遊び楽器ばっかりいじってられない。

本業のフエを練習せなんだ!



2003年11月6日木曜日

電動サンダー

こないだ1000円でヤフオク落札した三味線のバチにもサンダーかけた。
かなり古いもの。
バチの先端が丸まっているし
手汗のあともドス黒かったけど、新品同様に!

そして現在製作中の、メタロフォンの共鳴箱。

▼一番上の写真は、10/30の日記のもの。
ノコギリで大雑把に角をおとしたもの。

けどサンダーであっという間にほら2枚目の写真。



で、メタロフォン完成!


……のつもりだったのに、着色剤を水で薄めて塗ってみたくなった。

いい感じの色になった。満足。

2003年11月4日火曜日

学園祭をはしご




ICUとルーテル学院の両方、学園祭ハシゴしてきた。
ICU祭では毎年でかーいパイプオルガンのコンサートへ行く。

メタロフォンの共鳴箱、明日サンダーかけて終了。


2002年9月1日日曜日

反射板レインボー

自転車の反射板からのレインボー(^o^)/


(撮って出し)



2001年12月23日日曜日

■2001年12月23日(日)

『人間ドキュメント』(NHK:深夜:再放送)で
「光れ!泥だんご」という企画をしていた。

泥だんごを毎日粉砂でみがいてピカピカにするのである。
22年前の泥ダンゴを木箱に入れて持っている人もいた。

いまだ変わらぬその輝きに驚く。


そいや2ヶ月くらいまえ『タモリ倶楽部』(テレ朝:深夜)でも
この泥ダンゴをつくっていた。

顔が映り込むほど光らせていた。


小学生の時、あたいも泥だんごづくりに熱中したことがある。
さすって光らせるという行為は
子ども心をときめかせるものなのだ。


あたいが小学生の時、妹と熱中していた「リンゴ磨き」。

リンゴ箱からひとつだけ選んで、毎日タオルで磨く。

くぼみのところも綿棒なんか使ったりして念入りにキレイにキレイに。
1ヶ月ほど磨き続け、どちらともなくやっと「そろそろ食べよっか」となるのだ。


小学生の時、異常な猛暑の中、近所のアスファルトの一部がドロドロに溶けた。
それを棒ですくいとって
すぐそばの廃工場の塀にどっちゃり塗りたくり、
その日以後、学校の行き帰りのたびにソレをこすって光らせたりもした。


小学生の時、歯が抜けたときには、
ちょびっと残っている歯肉を楊枝でこそげ落とし、日々磨いたものだ。

すごくキレイになったのでガチャガチャのカプセルに入れていつも持っていた。
友達に見せるとみんなすごくうらやましがった。

やっぱりさすって光らせるという行為は、子ども心をときめかせるのだ。


2001年12月20日木曜日

■2001年12月20日(木)

テレビがつまんないので
『探偵ナイトスクープ』(テレ朝:深夜)を撮ったビデオを見た。
「爆発タマゴ」(藤本くん)の回だ。

電子レンジでタマゴを加熱し、殻をむき、
一口食べたとたんに炸裂するタマゴを作るのである。

これはその企画もさることながら
ミラクルの連発により珠玉の作品となっている。


その後、これをパクった企画は『投稿特報王国!』(日テレ)や『発明将軍ダウンタウン』(日テレ)でも取り上げていたが、それらはえてして予定調和。
とにかくナイトスクープの「爆発タマゴ」はおもしろいのだ。


タマゴで思い出す。
小学4年生の夏休みの実験であたいは「酢タマゴ」に挑戦した。
ミツカンの『特濃酢』という、特別に匂いのきつい酢に生卵をどっぷりと漬けて3週間。
最初に、殻に落書した油性マジックが消え、殻が徐々に透けだし、しまいには固体化した黄味のみが残るという実験である。

タマゴを漬けさえすれば、後は「ちょっと溶けた」「昨日より溶けた」という観察日記をつければいいラクな実験である。
毎日ながめてばかりいた。


季節は夏。
机の上に置いたブツは、酢のおかげで腐りはしないもののタマゴエキスの溶け出したキョーレツな臭いでコバエを呼び寄せ、それらはぐるぐる渦を巻いては浸かり死んでいった。

卵の殻の様子とともに、溺れ死んだコバエの数を数えることも実験に加えた。
当時数々のへんな実験に溺れていたあたい、親も放任していた。


しかるべく、黄味だけが残った。
あたいは黄味をていねいにガーゼに包んで2学期の学校へ持っていった。

教室の後ろにはそれぞれの夏休みの宿題が並べられた。
当然あたいの酢タマゴもそこに置いた。

ガーゼの上に鎮座した黄金の酢タマゴ。
触るとゆっくりとタルタルに動いてまるでグミのよう。

こんな異質な物体を自らの手で作りだしたなんて
自分で自分にうっとりしていたあたい。

きっとみんな驚くだろうな、先生早く気づいてくれないかな、とちょっと鼻高々だったと思う。

しかし事件は起った!!

クラスにいた知的障害を持つ同級生がそれをぱっくり食いやがったのだ。


あぁ、あたいの酢タマゴっ!!

叱られると思ったのか、その子はトイレに逃げ込み、個室の中で酢タマゴをゲロった。

私が3週間うっとりとながめ続けた黄金の酢タマゴは
おしみなくゲロとしてトイレに流されていったのだった。




2001年11月24日土曜日

■2001年11月24日(土)

4月に電撃婚約を発表した黛ジュンが電撃破局を発表した。

夕刊フジによると破局の原因は
婚約相手の男が故意にしているイタコに
「黛ジュンと結婚したら苦労する」と言われたからだそうだ。


ひえぇ。占い信じて破局だなんて信じらんない!


しかもイタコって……


イタコで思い出した。
4年前、東北一周旅行をしたときに青森県の恐山へ寄ったときのこと。

恐山入口には”霊場アイス”と書かれたのぼりが立ち、
ふつーの棒バニラアイスが1本150円で、堂々と霊感商法で売られていたっけ。

恐山自体はおもしろく、荒涼とした景色を眺めながら濃厚な硫黄の臭いをかいでいると本当にあの世にトリップしそうに気になってくる。
水子地蔵と一緒に記念写真を撮っている外国人もいた。

あたいは、きっとイタコがあちこちで交霊してて見世物状態なんだろと思っていたが、意外にもイタコは一匹もいない。
イタコのシーズンは一週間ほど前に終わったとのことだった。無念。

ってか、イタコのシーズンって……(笑)


そういえば『ここがヘンだよ日本人』(TBS:木夜)にイタコが登場したことがあった。
調子に乗った一人のイタコが、ダイアナ妃を呼んで来てしまった。

「オォ。ワタシ クルシイ。
イマ、トテモ カナシイネ。
ヤリタイコト タクサン アッタ」

なんて茶番を演じたもんだから
疑った外国人が「2人の息子の名前言ってみて」と質問。

はたしてイタコは「ウ、ウィリアム……」しか答えられなかったのである。


イタコって霊媒士だよね?
過去の人の口承人でしょ?
なんでその人が未来を占えるのさ?
んで、なんでそれを信じるのさ?

52歳にもなってイタコ信じてる男なんて、こっちから別れてやんなよ黛ジュン。


ところで黛ジュンって誰なんだ?


2001年9月22日土曜日

■2001年9月22日(土)

高校2年の時、家庭教師のバイトをした。
知人の紹介の中学2年生男児。

こいつは曲者だった。
14歳なのに2桁の足し算、引き算さえできないのだ。

高校はもうぜったいに行けないから
せめて基礎学力ぐらいは付けさせたいという、親心らしい。


彼は下っ端ヤンキーだった。
背が低く、ボウズ頭をオキシドールで脱色。
ペンケースには、当時のヤンキー呪文「BOΦWY」の文字。
全身たばこ臭かったし、根性ヤキもいっぱいあった。

シャーペンに縫い針を仕込んで腕を彫っていたし
前歯の間をキリで穴をあけ、そこからツバをペッペペッペしていた。


教える内容はほとんど小学2、3年生の内容。
だが、覚える気のない人に教えるのは至難のワザだ。

掛け算九九も5の段くらいまではどうにかできたが
『5ダースの苗=いくつの苗があるでしょう?』なんてのは、やっぱり難問だ。

なぜならばまずダースという単位が解らないからだ。


しかし、しだいに「郵便局」なんてのも読めるようになってきたし
ローマ字も覚えてきた。

あたいは教えることが楽しくなってきて
本屋で小学生の参考書なんか見たりもするようになった。


しかし彼には盗癖があった。
勉強はうちで教えていたが、あたいの部屋に張ってあった大きなポスターを盗まれた時はさすがに頭にきた。

もうすこしバレないものを狙いなよ!

盗むものまでバカだな!


「今まで気が付かないふりしてたけど
ファミコンのカセットも私の下敷きも全部返してよね」

彼はあやまりもせず、帰って行った。
それ以来、なんとなく来たり来なかったりしているうちに
親から電話があって「もうやめたい」と言われた。


それから1年後。
あたいは高校を卒業して大学に入学するまでの間、近所のケーキ屋でバイトしていた。
そこにあのヤンキーが母親と買い物に来た。

久しぶりに会った彼は、相変わらずちびっこで、相変わらずまゆ毛を鋭く剃っていた。
無事中学校を卒業し、ちかくのスーパーに就職が決まったという。
今日はそのお祝いのケーキを買いに来たそうだ。

あたいはもうすぐ実家を出て、遠く一人暮らしを始めることを伝えた。
小学校の教諭になろうと、教育学部に進学することが決まっていたけど伝えなかった。


数日後、彼はポスターを持ってケーキ屋にきた。四つ折りだったけど。
ポスターに折り目つけるだなんてやっぱりバカだ。

なにはともあれ、もうとっくに好きでもなくなったそのタレントのポスターは返ってきた。

ネコの置物も、肥後ナイフも、ソーイングセットも帰って来なかったけど
一区切りついたかんじがしてちょっと嬉しかった。


2001年8月26日日曜日

■2001年8月26日(日)

徳光和夫が入院して、『速報!歌の大辞テン』(日テレ:水夜)の司会が福澤朗になった。

福澤さんはこれまでも、福留さんや古館さんの後釜として重宝がられていたし、一時期のコバエのようなせわしなさも落ち着き、5分ニュース番組でもそつなく原稿を読むようになった。


しかし、同じく徳さんが空けた穴『めっけMON!』(TBS:火夜)の司会をなんと故東八郎の息子、東 貴博 (Take2)がやっているではないか?
なんという大バッテキだろう。

この番組は、一流といわれる食材や道具を紹介し、その値段を当てるというクイズ番組だ。
興味のある内容なので試しに見てみたのだが、司会者なのに回答者をいじりすぎて空回りしていた。
ゴールデンでの初しきり役に舞い上がったのかは不明だが
客観的にみて司会役といくよりガヤガヤとしている印象だった。



2001年7月6日金曜日

■2001年7月6日(金)

『峰竜太のホンの昼メシ前!』(日テレ:午前)で
『ごきぶりホイホイ』の誕生秘話を取り上げていた。
いつもなら決して画面を見ることはない内容の番組だったが
目をつぶって、ラジオのように聞いてみた。

それは、某製薬会社社員の西村さんが
ゴキブリに悩む妻から
「あなたの会社でなんとかならないの?」といわれたことに端を発する。


まず、当時主流だった他社のゴキ捕獲器とはちがう
使い捨ての捕獲器(ゴキホイ)を開発する為に
西村さんはある研究機関からゴキを500匹譲り受けた。


だがしかし、人工的に孵化され飼い慣らされたゴキではなく
もっとエネルギッシュな、野生のゴキが欲しい!!
 西村さんは一年に渡り、新聞の三行広告にこう掲載した。

「ゴキブリ一匹 10円で買います ●●製薬」

立ち食いうどんが1杯60円の時代。
地元の貧乏大学生にゴキ狩りブームがわき
集められた野生種は3000匹。

これでやっと思う存分研究できた西村さん。


アメリカのネズミ捕りにヒントを得た粘着式シート。
入口の上り坂(勾配30°は特許有効中)により
後進できないゴキは前に進むしかなくポテッとシートの上に落ちるっちゅう仕組みだ。

苦労したけどめでたし、めでたし、といった様な内容の番組だった。


当時の企業は
どの職種も大もうけ狙いというよりは
「国民により必要とされるもの」を念頭に日々奮闘していたのだろう。

さして必要でもない使い捨て文化を生み出す
現代の流行企業の姿勢とはやや異なるな。


2001年7月4日水曜日

■2001年7月4日(水)

大学を卒業したらどうしようか悩んだ。

父は「コンピュータができなくてどうする。地元のパソコン専門学校へ行け」というし、
母は「一緒に陶芸教室いこうよ。車も買ってあげる」と誘った。

言っておくがうちの実家はぜんぜん金持ちではない。
が、とにかく実家に帰って来て欲しかったようだ。


あたいが高校を卒業したときには追い出すように勝手にアパートを決めてきて一人暮らしさせたのに、いまさら帰ってこいと言ったって、
楽しい一人暮らしを体験したあとに実家に帰ろうなどとは思わなかった。

とりあえず家賃補助や寮のある会社を探さねば……


一生結婚しないつもりだったあたいは
女性管理職のいる会社を就職先の第一条件にあげた。

「高給料」ではなく「永く勤められそうな会社」を探し
女性管理職がいて堅そうな会社名の某社にロックオン。
制服は白衣=一年中エアコンが効いた職場の匂いがする♪


ところが試験の当日、原因不明の熱が下がらないまま
田舎から電車でノコノコと一時間も遅刻。


しかし世は売手市場。
口からでまかせの趣味と特技で面接をのりきり
実力ではぜったいに受からなそうな理数系のその会社に就職することができた。


配属されたのはCAD営業部。
すでにOLだった友達のウケウリで「CADをやりたい」とテキトーに言った入社動機が通っちゃった。

あ~あ。事務職で気楽なOLしたかったのに
いまさら新しいこと勉強するなんていやだな。
最初からうんざり気味で始まったOL生活・・・・・・


その部署には8人いた。
事務の女性はあたいと同郷のしかも同じ学校の先輩だった。
残りは全員熊本出身という、とても片寄った人事配属。


おかげでせっかく上京したのに、あか抜けるどころか熊本弁になってしまった。

「そぎゃんこつなかよ」(そんなことないよ)
「せからしかね~」(せわしないね)
「まうごつできゃぁ」(超でかい)などと
飛び交う意味不明のネイティブ熊本弁に慣れるまでは
とんでもないところに来てしまったと心底思った。


しかしそこは
社会性などまったくなかった学生気分のあたいにいろんなことを教えくれたのだった。

まず事務職を尊敬するようになった。
ドラマでのヒマOLのイメージで、事務職はラクそうと思い込んでいたが
とにかくあれこれと人が気がつかないことを率先してやっている。
当初は鈍感なのをいいことにラクを決め込んでいたあたいだが
これに準じて少しは気を廻すようになった。


それと先輩達は
「会社の人の悪口言っちゃだめだよ。一度言い出すともうどんどん嫌になっちゃうからね」と諭した。

事実、みんな議論好きで、言いたい放題だったが腹黒くはなかった。
会社全体でも、自分に気をつかってくれないと機嫌を損ねるようなお局はいなかった。


いい人に囲まれてあたいもちょっぴり性悪を改善。
他人を一個人として考えられるようになったあげく
誰がなにをしようと以前よりも悪く思わなくなれたと思う。
てか、気にならなくなった。これは大収穫。


上司もほとんどがいい人だった。
基本的に子煩悩な上司は、部下を上手に使える。

それにしてもやっぱりOLは楽しかった。
会員制のクラブやしゃぶしゃぶやサロンや
ゲイバーやカニやフグなんかにも連れていってもらったし
朝7時に築地に集合してみんなでお寿司食べに行ったりしたし。


テニスしたり、スキー行ったり、仮装大会したり。
ホントは”みんなで”っていうのはすごくいやなのだけど今思うと楽しかったなぁ。


などと、これを読むあなたには完全に関係ない話だが
こうして文章にしてみると、思ってもみなかったほど懐かしくなってきた。

こんなにも自分に合った会社を何故辞めたのかと時々思う。
いまでもたまに元の上司に逢ったり、バイトの話を頂いたりして、ほんと幸せだな。

しかし、辞めるからにはやはりいろいろとあった。
最初のきっかけは、そう、そのころの同じ部署にストーカーがいたからだ。
この話は別のおはなし。


今明かされる真実!
あたいが会社を辞めた理由は?
近日執筆!! 請うご期待 (99%誰も興味ないね)


2001年6月29日金曜日

■2001年6月29日(金)

 月曜日に録画した『秘密の爆笑大問題』(日テレ:月深夜)で
【グラッとくる男のしぐさ】をやっていた。

今回の回答者はキャバクラ嬢。
よって、こないだの6月16日に引き続き、いい男シリーズ第2弾。

  • 仕事をしているときの目
  • 自動車でバックするとき (←もはや定番でつまらん)
  • シャツを脱いでいるときの上半身 (←TシャツかYシャツかでまた違うな)
  • はにかんで笑うとき (←「はにかむ」って言葉を最近使ってるのってレディコミぐらい?)
  • タバコの煙が目にしみたときに見せる渋い顔 (←かなり人による)
  • 顔を洗い終わってタオルを取るときの首すじ (←これも人による)
  • ネクタイを結んでいる時 (←酔っぱらって頭にネクタイ結んでいるときではない)

 ↑箇条書部をつなぎあわせるだけで、ちょっとしたメロドラマ(不倫)になるな。