2017年6月5日月曜日
ペーソスがあるか無いか
やっぱ、なんだかんだいってバッハはイイやね。
▼こちらヒラリー・ハーンの
17歳のときの『シャコンヌ』(パルティータ2番)の演奏。
無垢で、清らかで、初々しくて。
特に『シャコンヌ』は
今までパールマンおじ様の間合いが一番しっくり来てたんだけど、
天から降りて来たままの音のような
ヒラリー・ハーン(17歳)を聴いて以降は、
パールマンおじ様の劇的な演奏は
悪く言えば演歌っぽいというか、
奏者の主張を感じて疲れるように......
▼オジサマの演奏する『シャコンヌ』
こうして同じ曲で聴き比べてみると
少女ヒラリー・ハーンの初々しい演奏は
たしかに深みには欠けるけど
一言でいうなら「清冽」な演奏!
聴けばきくほど、静かになっていくかんじ。
この無垢さに当てられてしまったあとでは
おじ様のほうは時に傲慢にさえ聴こえるけど
聴けば聴くほど、感情がむせぶかんじ。
用法容量を守って
聴き分けするのが良さげです。
で、前置きが長くなったけど、
(え!前置きだったの!?)
そのヒラリー・ハーンのデビュー作の
Blu-specCD2版が半年前に出ていたと知り、再購入。
Blu-specCD2は、普通のCDよりも音質が格段によいのデス。
ま、ただ今のわが家、
ブルーレイで回して
テレビで再生してるんで
音質とか聴き分けられないんだけどね(^-^ゞ
▼これみて。
帯ジャケットに『再:17.6.6まで』て書いてある。
なに、明日、何が起こるの?
調べてみたら再販制度とかいうのに関係するみたい。
よく分からないけど
あたい、雑学欲とかないんで
知りたいとも思わない(∩´∀`)∩ 以上!
バッハの、特に無伴奏系の孤高の旋律は
あたいが考える『芸術の定義』のひとつである
『春夏秋冬、どの季節にも当てはまる』の最たるもので、
春の芽吹きの神々しさのように聴こえたり
夏の、意識が遠のいていくような暑さの昇華感だったり、
秋のせつない洛陽、
冬のピシッと気持ちのいい朝を思い起こさせ、
なぜ1曲で、いく通りもの季節に添うのか不思議だ。
季節だけじゃない。
悲しいとき、楽しいとき、腹が立つとき、
たいていの気分にもピッタリ当てはまるし、
子どもの頃の風景とか
祖母から聞いた「母の思い出話」やら
SF映画でみた無音の宇宙空間やらやら、
時空や宇宙をもかかえて沁みるのであーる。
おそらくキーワードは『ペーソス』。
物悲しさというか、哀愁というか。
どっぷり悲しいわけではなく、
哀しみの中にも一筋の光があるような情緒的な。
バッハの曲のなかでも
そんなペーソスが漂う曲に惹かれ、
聴くと気分がスッとします。
その精神世界に手垢が付いてしまうのが
怖くて「もったいない」ので
あえてたまにしか聴きませぬ。
ここぞという時に聴くと
一発でパシッと効く
あたいのカンフル剤でありまーす。
(カ、カンフル剤......(笑))