2016年11月4日金曜日
秋の道端に咲く
カメラ片手に近所をぶらり。
▼セイタカアワダチソウって
群生していると
はた目にはキレイだよねー。
すごい繁殖力だから
家にあっては困るけど。
▼撮影の相棒は犬くん。
犬が一緒だと、カメラ下げてても怪しまれない、かも?
▼終わりかけや枯れた草ってカッコイイ。
かえって「しぶとい」生命力を感じるなぁ。
小学6年生のとき、国語の授業で
芭蕉? 一茶? 一休さん?の
俳句だか短歌だかが題材になったことがあって。
印象に残っているその歌を
ずっと思い出せずにいるのだけど、
たしか
「花は咲いているときよりも
枯れた姿のほうが美しいのだ」
といった歌でした。
その意味は
「生命を全うしたその姿こそが美しいのだ」と
先生が解説してくれて。
でも、この授業(歌)のことを思い出すときに
なぜかいつも「しゃれこうべ」というキーワードが
頭に浮かんでくるんだよねぇ。
木でできた長い杖に
骸骨をのせて歩いている姿を気味悪がる人々に
「人間は、死んで骸骨になってこそ素晴らしいのだ」と
説いた歌です、
という先生の説明の言葉もハッキリと思い起こされる。
となると、歌のほうが「しゃれこうべ」だったのかも?
その解釈として
先生が花に例えたのかも?
なにもかもおぼろげな記憶だけど
印象には残っているのです。
詳しい人、だれか↑の歌、おせーて。
有名な俳人、歌人の作品だったから
わかる人にはわかる、かも?
でね、でね、
この授業をうけた
当時12歳のまめ吉美少女は
おおいに感動した!
......と、見栄張りたいところですが
正直、チンプンカンプン、意味不明でありました。
えー?
花はやっぱり咲いてるほうがキレイじゃん。
枯れた花なんてゴミだし、
汚くて触りたくもないよ、と。
でも、いや、なんの、なんの。
不惑な世代のあたいには
その歌の良さがわかるし、
おおいに共感できますとも!
雑貨とか庭でも
シャビーやブロカントなど
寂れた、おわった、壊れた、枯れた、
そんなのが好きだ。
①錆びた缶
②風雪に荒れた板
③苔の生えた鉢
などなどが好きで、
①塩水に漬けてサビさせたり
②庭に放置した杉材を
焼いて金タワシでこすって
バーンウッド風の板をつくったり
③素焼き鉢にヨーグルト水を塗って
苔させたり
と、あえて「朽ちさせて」ますがな(#^.^#)
うちの庭には
そんな「ヤラレ途中」の廃材があちこちにあるので
ゴミ屋敷の様相(笑)
いいの、いいの、
あたいにとってはお宝なの!!
わびにさび。
モノの過ごしてきた年月に想いを重ねる、
そんな老後を送りたいものです。
▼いがり先生に教わった
種を写真に撮るときの
「配置のコツ」を思い出してパチリ。
物事の終わりかけ。
終わるまえの、もうひとふんばり。
じきに「そのとき」が来るであろう犬くんは
老犬ライフを楽しく、可愛く、元気に過ごしてます♪
老犬ならではの
あれこれ出来なくなる可笑しさと切なさ、
あっち行きたくない、
それ食べたくない、と
嫌がる主張にはかならず理由があって
それを取り除いてあげると
「そう、それ!」と嬉しそうな顔をするのがカワイイ!
16年間でよく言葉を覚えたツーカーの関係は
子犬のころよりも増して愛おしいです。
「おわりかけ前」だからこそ達せる
犬との意思疎通の境地、
わかる人にはわかるよね!
花も犬も
むしろこの境地に至るために
咲いたり、なついたりしてるのかと思うほど
枯れたり、老いたりすることは
美しく、楽しく、いとおしいですなー。
去年、「もうすぐ死にそうな犬」と予言した
通りすがりのおばあさん。
まだまだ楽しく生きてますよ~ヽ(^o^)丿GO!
→ 2015年6月29日 『予言者に遭遇』